「幸せ」であるために何かをした方が良い?という話題があります。
何もしなくても、本来は幸せなはずなんです。
「何もしなくても」と言っても、人は息をする必要があるし、ご飯を食べて寝ることも大事です。
何もしなくてもというのが物理的に無理な世界に生きています。
その一方で、人は何かをしていると意識することなく、息をするように幸せを感じられます。
今、こうやって座っているだけで幸せを確認出来ます。
それぐらい「幸せ」は身近にあって、普遍的で自然なものです。
ただ、それを言葉にするとなると「○○をする」という話になってしまう。
なんか矛盾するようなしないような(笑)。
人は幸せを感じていると、勝手に良くなるようになってます。
何かを頑張るなら「どうすれば幸せを感じられるか」ということに力を尽くせば良いと思ってしまいます。
とことん幸せを追求して、幸せを感じる方に自分を向けて行けば良いです。
私にとって幸せはなんだろう!って問いかけても良いです。
幸せを考えたことがないと、幸せを追求することは難しいです。
だからまずは「自分の幸せってなんだろ」と考えるところから始めるのも良いというか、ここから始めた方が良いです。
私は「私の幸せって何?」と考えたことが無かったです。
幸せはそこら中にあり、それが普通だと思ってました。
それが少し違うみたい
でもね、いろいろと相談を受けてきた感じでは、全ての人の中に幸せはきちんとあって、本人も何となくだけど分かっている感じがします。
全く分からない話なら私の話自体が通じないから、ここは合ってると思うんです。
合ってることは合ってるんだけど、考えたことがないとか、考えたことはあるけど少しだけ考えたことがある程度って感じだと「惜しい!」って感じになる。
この世の中、目安にしてい良い基準なんて自分で決めれば良いんです。
私は幸せでありたいから幸せを基準にしているだけです。
「幸せ」という基準でこの世界を見ると「あぁなんだ、この世界は幸せで出来てるじゃん」と気がつくんです。
それだけのことだけど、意識しないと分かりにくいところがあります。
「自分はどうありたいか」「どうしたいか」「どうなりたいか」
日々の生活で忙しい時は忘れがちです。
でも、本当は常に考え、心の中心に置いておきたい事なんです。
ここさえしっかりしていれば、毎日がわくわくするから。
どうせ生きるなら、わくわくが良いんじゃないかな~って思う、それだけのことなんだけど・・・。
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