全ては自分が自分のために創った世界

〜奇跡講座〜私の愛の理解と奇跡の神楽

知人と話をした後に気がついたことがありました。

歩いていた時の話ですが、「あれ?この世界って自分で作ったんじゃないの?」と。

どういう意味かと言いますと、コースでは時間は存在しないという話があります。

過去・現在・未来という時間軸は自我の世界の話であり、本来は存在しないと。

更に「全ては既に終わっている」という話も伺いました。

それならですよ?

今、この状態にある事を未来の自分は知っているわけです。

既に終わっているのですから。

そして、ここが大事なのですが、親が子供に口うるさいのは何故か?です。

親が子供に口うるさいのは、親が経験してきた良い事悪い事を子供に良い形で経験して欲しいからです。

何をして良くて何をしたらだめなのか。

親は自分が通ってきた道だから既に分かっているわけです。

それをこれから通るだろう子供に教えるためにいろいろと口を出すわけです。

私たちの世界はこれと同じです。

未来の自分は過去の自分がどういう状況にあるのかを知っていて、それに対して「〇〇した方が良い」とあれこれ指図するかも知れません。

現世で自分の目の前で起きるように見えても、それは未来の自分が過去の自分のために起こしているとも言えます。

全ては同時に起こり同時に終わっている世界であれば、過去も未来も無いです。

既に終わった世界にいる自分であれば、「時間の中を生きている過去の自分」にアクセス出来るのは当たり前です。

過去の自分にアクセス出来るからこそ、過去の自分が幸せで居られるように、あれこれと世話をするのも当たり前です。

だから、今の状況は未来の自分からしたら「どういう状況にあるか」が明確に分かっていますし、どうしたら良いかも分かっています。

でも、今の自分はそれが分からないし理解出来ないので、未来の自分は今の自分に理解出来る形であれこれと「出来事」を引き起こしています。

物事の本質が分かっていると、目の前で起きていることは自分に必要だと理解出来ますし、どうすれば良いかも見えています。

未来の自分が過去の自分にヒドイ事をするわけが無いからです。

未来の自分とは「満たされた存在」です。

満たされた存在が何かに対してヒドイ事をしたり、足を引っ張ったりはしませんし、する必要もありません。

こういう事が分かるようになったのも奇跡講座の話が分かりやすかったからです。

この世界は幻想だっていうのも当たり前の話で、自分が自分のために作っているからです。

ただし、幻想=悪いものではありません。

幻想=愛を想い出すためのレッスンの場です。

あるとき神から離れてみようと思って離れてみたら「違った!」と慌てて元に戻った、このプロセスを形にしたようなものです。

そこに悪いものは何も無く、神も戻ってきた子を優しく受け止めてくれてます。

全てが善であり、愛であることが分かっています。

だから、見えている世界そのものが愛であることも明らかなんです。

じゃあ、なぜ苦しいのか・・・。

ここを掘り下げて行くためにコースが力を貸してくれてます。

そのお話はまた次回

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