愛とか光とか昔より強く意識できるようになってきました。
先日、新宿駅を家族と歩いていたら、「すみません」と近寄ってくる若い男性がいました。
滅多にありませんが、「道を聞かれるのかな?」という感じで立ち止まると、カードを見せてきます。
この瞬間に「あ、あれだな」と気がつきました。
これまでなら余裕でスルーです。
ここ数年、新宿でも目につくようになった「留学生で生活に困っていて、買って頂けませんか?」的なことをやっている人達です。
これについては、これまで全部スルーしてきました。
これ、組織だってやってるようにしか見えませんし、この子達は善意の人からお金を集めるための売り子なのだろうという認識です。
私の認識も言葉にすると大概ですねorz
これまではこんな感じだったのですが、今回は最初の心持ちから違いました。
まず、嫌悪感がありませんでしたので、とりあえず値段を聞きました。
話を聞くも何も、あまり日本語が得意ではないようで、この辺は片言です。
「500円です」
普段は現金を持ち歩かないため、これを聞いた瞬間「あ・・・現金無い」というのを思いだしたのです。
ただ、何かあったときに困るので、少額のお札は持ち歩くようにしていました。
そこで「お釣りあります?」と伺ったら、「あります」とのことでした。
じゃあ、1つくださいと、1000円を取り出して渡し、(今回は)お菓子を貰って、「ありがとう~。頑張ってね~」と伝えて分かれました。
ここで私や家族が感じていたのは、彼の「愛と光」でした。
やってみれば分かりますが、見知らぬ人に声を掛け、買って貰うことの難しさは半端ではありません。
声を掛けて止まってくれるまでにまずはたくさんの人に声を掛けます。
止まってくれた人も「買って欲しい」となると、すっと離れていきます。
それを見ている人も遠巻きになります。
そういうのが分かります。
慣れてくると「この人なら声を掛けても大丈夫そう」というのが分かってきますが(笑)、塩対応される方が圧倒的です。
それを新宿駅の南口の膨大な人が行き来しているところでやるわけです。
効率は良いかも知れませんが、心は折れます。
それでも声を掛け続けるのはいろいろとあるのだと思いますが、少なくとも悪意を持ってやることは難しいです。
そんな中で反応した私たちに対して、彼は感謝と喜びを向けてくれました。
更に「良いよ」と伝えたことで、光を実感しました。
この時に気がついたのが「彼がどうのこうの」ではなく、彼は最初から光っていたのだなってことと、私たちの陰を取り払ってくれたのだなって気がつきました。
当然、感謝をし感謝をされという感じになるので、私たちは彼の愛に包まれますし、それに気がつきます。
善意が良いという話ではなく、善意かどうかでは無く、光が来てくれたことに反応した感じです。
似たような事例でビッグイシューさんがあります。
東京ではよく見掛けると思うのですが、赤い帽子を被って雑誌を持って立って販売している人です。
東京に来てから「雑誌を持ってるけど、あれなんだろ」とずっと思っていましたが、近づきませんでした。
なんだったら数年前までずっとそうです。
いつだったか忘れましたが、ビッグイシューの雑誌を販売している人を見つけたら、家族が買うようになりました。
私は「?」と感じつつ、まあ好きにしたら?と無関心でした。
何をきっかけにしたか思い出せませんが、急に私も販売している人を見つけたら購入するようになりました。
コロナよりも少し前ぐらいからだったと思います。
それはビッグイシューさんが自立支援として雑誌販売の仕事を提供している事が分かったからです。
先ほどの留学生の話と被ります。
留学生はルールが無いので、がんがん声かけしているようですが、ビッグイシューさんは販売に最低限のルールを設定し、売り手にも買い手にも負担が掛からないようにされてます。
何かを買って貰うのってとても大変です。
人は関わりがあると、一度はお付き合いで買ってくれることもありますが、関わりが無かったらメリットが無い限り気にもしないし、もちろん買ってもくれません。
そういう状況で雑誌を持って立って、買ってくれるのをひたすら待ち続けるのです。
1冊売れれば売上の半分以上が手取りになるので、商売としては結構良いです。
ただし、「自立支援」というぐらいですから、そういうのが出来ない人の為のお仕事なので、やっている人は覚悟が無いと出来ないです。
人の目にさらされ続けるというのは、相当なストレスだからです。
昔は無知でそういうことに気がつけなくて、なんか変わってるな~としか思っていなかったのです。
それが背景を知った上で、意識してその販売に立ち会うと、ちゃんと光が見えるから面白いです。
光が見えるようになると、暖かさを感じられる様になっていきます。
何が大切で、今自分に出来ること何で、どうしたら良いか。
私は「買った方が良い」とお話をしているわけではなく、その時に出来ることが何かあるのであれば、「光」に反応をすることで自分自身にも光に当てられるというお話です。
日常生活を送っていれば様々なストレスにさらされますが、こういった光を感じることで浄化されます。
光を意識しなくても、「〇〇した方が良いかな」と心で感じたら、少し意識して見るのも良いです。
それは自分の中にある「光」に感情が反応している証拠だからです。
この感情を無視し続けると、何も感じられなくなり、息苦しくなっていきます。
「光」は「こうしたら良いよ」といつも教えてくれています。
行動にするかどうかは別にしても良いので、「意識する」ことから始めて見ると良いです。
生活の中に「光」が入ってくると、これまでと違った人生に自然と変わっていきます。
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