価値があるかないかに意識を向けないことです。
価値は常に変化します。
価値でもなんでも、変化するものに意識を向けると振り回されやすくなります。
価値があるから大切、価値が無いから大切にじゃない、そういう基準だと心が疲れていきます。
意識を向けるところは価値があるかどうかではありません。
好きな人に対して、この人は価値があるとか無いとか考えないです。
好きな人、好きな場所、好きなものは価値以外の基準があります。
高額だから価値があるとか、安いから価値が無いとかも関係ありません。
条件が良いから価値がある、条件が悪いから価値がないという基準もしんどいです。
これが価値の本当の姿で、価値に意識を向けるほど心が消耗します。
価値に意識を向けると、もっともっとと際限なく求めることになります。
疲れるのに世の中は価値を高めようと必死です。
価値を高めることで、より良いものが手に入ると思うからです。
私も「価値の提供が大事!」と言ってきた記憶があります(ノД`)
価値を追い求める事を自然とやってきたな〜と思いますが、その結果、いろんな事に振り回されてしまっていた。
そういう事に気がついてきました。
ここで改めて「価値」に意識を向けます。
本当に「価値」は必要なのか?についてです。
いろいろと整理していくと「価値は必要では無い」にたどり着きます。
「価値」ではなく、「価値では無いもの」、つまり「存在そのもの」に気がつくことが必要って感じです。
見えているものに意識を向けると、つい価値を基準にし、意識もそっちに行きます。
見えている方が分かりやすいからです。
その結果、見えているものに振り回され、大切な事が疎かになります。
見えているものに意識を向けると、きれいだとか見栄えが良いとか、高級だとかが目につきやすくなります。
きれいな方が良い、見栄えが良い方が良い、高級な方が良いように見え、きれいじゃ無いとだめなのか、見栄えが悪いとダメなのか、安いとダメなのかと問いかけ時、「そんなことも無いよね」って気がつきます。
すべてのものには表に見えているもの以外があります。
あなたに見た目がある一方で、内側に心があります。
心は見た目に覆われているため見えない感じですが、実際は心が表に現れていることも多いです。
それは表情かもしれないし、言葉遣いかもしれないし、立ち居振る舞いかもしれません。
意識している人にはすぐ分かりますし、意識していなくても共に過ごす時間が長くなると分かってきます。
ただ、表面しか見ていない、見ようとしない場合は、目の前の情報に振り回されます。
こういうのは難しいな~って思います。
ついつい見えているもの、聞こえてくるもの、感じるもので判断しますから。
中身が大事と言っても外に目が行くし。
だから見えているものが本当では無いかもしれない、感じていることが違うかもしれない、と疑います。
信じるとか信じ込むよりも、地に足を付けた幸せに直結するやり方です。
だからじっくり見る・感じる・考えるようにします。
この見えているモノが全て崩れた時、何を感じどうしたいかです。
見えているものは幻想かもしれないのです。
幻想が消えたら、そこには平安しかありません。
だって、そこには良いも悪いもない、暖かなものだけがあるからです。
あ!でも、私は価値を無視したら良いとかそういう話をしているわけじゃないです。
見えているものが全部じゃ無いよって知って欲しいだけです。
その上で素敵だと感じるものや良いなって感じるものに接していけば、幸福感は更に高まります。
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