鬼束ちひろさんのYouTubeを見ていたときに、「あぁ、身体が邪魔なのかもな~」って何気なく思っていました。
その後でTikTokをぼ~っと見ていたら(何してんだろ(笑))、「あれ?これって・・・」と気がつくことがありました。
「みんな着ぐるみを着てる」っていう話を思い出しました。
奇跡講座のTSさんが「みんな着ぐるみを着ているよ」って言ってました。
奇跡講座を私も少しは読んだので、「愛の本質からすれば当然だよな」って思っていました。
知識としては理解しました。
実感としては、実感はなかったです。
ところが、今日のこのタイミングで実感したのが上のお話です。
着ぐるみが「今」の姿だから、コスプレをして本当の自分にしたい
ジェンダーが気になる人は「本当の自分」を感じる中で着ぐるみが息苦しい・・・。
昔から変装、他の人になりたいといった気持ちを持つ人は居ました。
そういった人達は奇跡講座の先駆けですよね。
実感があったかどうかは分からないけれど、本質である自分と自分を覆っている肉体(着ぐるみ)に違和感を感じてしまった。
それは想像を絶する苦しさのような気がします。
自分の本質である「愛」を覆っている自我と着ぐるみである肉体、仕組みが分かれば受け入れる事が出来るかも知れません。
でも、仕組みが分からなければ、苦しむ気がします。
自我と着ぐるみが「異質」と自分が思ってしまっていることが根っこにあります。
こんなのは自分じゃないとか、着ぐるみを脱ぎたいとか、自我を脱したいとか・・・
それはたぶん違うんです。
私はよく「今の自分のために未来の自分がこの世界を用意してくれた」と言います。
奇跡講座をよく知るTSさんが「全ては既に完結している」と教えてくれました。
全てが既に完結しているのであれば、「完結に至った自分」もそこにいます。
そして、「完結に至った自分」には「時間の概念」はありません。
全ては既に終わっており、全てが理解された状態だからです。
全てが理解されたとき、過去は今になり、未来も今になります。
だから時間は存在しないことも自明です。
だから「今の自分」は「未来の自分」が「自分のため」に用意してくれた世界と言えるのです。(未来の自分も今の自分だからです)
だからもし今、着ぐるみに苦しむことがあったとしたら、「そこじゃない(苦しむ事以外の)何かに気がついて!」と自分が自分のためにメッセージを送ってくれています。
あなたが気がつけるような形にしたメッセージです。
本質である「愛」にとって、自我も着ぐるみも存在しません。
そうは言っても感じるじゃないですか(笑)
肉体はあるし、自我もあるし、ストレスもある。
じゃあ何を言いたいのかと言えば、本質である「愛」の目で見ると、「苦しむ受け止め方は違う」ということが分かるという話です。
「なぜ苦しむのか」を聖霊に預けるのが奇跡講座流なのかな?
「なぜ苦しむの?」と私は自分自身に投げかけ、答え探しをして頂けたらなと思います。
「こんな肉体があるからダメなんだ」ではなく、「この肉体を用意したのが未来の自分であるなら、違う受け止め方に気づいて欲しいからなのかな?」といった考え方もあります。
今、時代が「着ぐるみ」に気がつかせようとしているのだと思います。
そういう意味で奇跡講座が本質を語っていることが分かります。
ただ、世間的に「着ぐるみ(肉体)」を悪にしてしまうのは、禁じ手だとも思います。
この世界を自分が作ったのであれば、「着ぐるみに気がつく」ことが一つのテーマです。
着ぐるみ=本質(愛)なのに、着ぐるみと愛は違うと言ってしまうのはどうなのだろう。
私は着ぐるみを受け入れて上げれば良いと思うのです。
「それ(着ぐるみ)は違う」と否定してしまうのには、愛があるのかな・・・と。
「そういうのも良いよね」で良いんじゃないかと思うんです。
その上でこの着ぐるみも良いし、あの着ぐるみも良いねと、全てが一つであることに気がつくこと、実は全部同じなんだよってステージが待っていると思います。
全部同じって事、存在しないということを教えてくれていて、それは「愛そのもの」という話です。
私みたいな普通の人間がこういう思考にたどり着くには、今の時代じゃないと無理だと思います。
少しずつ世の中の流れに気がつき始めて、何を意識したら良いかっていうのも分かりやすくなってきています。
着ぐるみの肯定
その先にあるのは「愛に気がつくこと」かな?
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