この世の中で生きている目的

幸せに気づくために意識の持ち方

この世界はあなたの幸せのためにある。自我と感情と意識の関わり」のシリーズというわけでもありませんが、考えていることがあります。

誰もが「心」はあると感じると思っています。

どこにあるのかを示すことは出来なくても、「大体この辺、こんな感じ」と分かります。

この「心」を中心として、外側に自我や感情があり、更に肉体もあるのだろうなと私は理解をし始めています。

そういう風に理解を進める方が無理がないのです。

「人は本質的に幸せであろうとする」といつもお話していますが、これも同じで無理がないのです。

「無理」はすべてにおいて「そっちじゃ無い」と教えてくれる幸運のシグナルです。

シンプルにすると答えが見えやすいに少し書きましたが、要は自分を作り上げている軸は何か?です。

自分の根っこの根っこが「幸せという存在?=心」であるなら、それを取り囲むものもすべて「幸せを実現する・幸せを拡げる」に繋がっていきます。

この自分の根っこの部分が「幸せという存在である事」に気づけるかどうかです。

気がつかなくても「幸せという存在」が変わるわけではありません。

ただ、幸せじゃない状態にはまり込んでしまう人がいます。

その人の幸せはどこにあるのかと言えば、そういう状態にあってもその人の中に「幸せ」があります。

ただ、気がついていないので、幸せを感じ取れないように振る舞います。

先日の話ですが、私の知人に学生時代に積立貯金をしていたことをすっかり忘れ、先日、銀行から「どうしますか?」と連絡が来て初めて思い出した人がいます。

知人はすでに資産を持っていたのに、忘れていたため存在をないものとして過ごしていました。

まさにこれ。

いろいろな相談を受けていることで「人は本質的に幸せであろうとしている」ということは分かっています。

受け手である私には分かるけど、相談者は気がつきません。

これはまだ気がつくステージに来ていないからです。

占いをきっかけに気がつき始める人もいます。

占い師に相談される人に共通するのは「自分の人生のあり方」に意識が向いていることです。

このブログを見ている人も人生と向き合う時期に来ているのだろうと思います。

吉方位に引っ越したいとか、凶方位を避けたいとか、運を良くしたいとかも、全部同じです。

その先にあるのは「幸せな人生」です。

これが幸せの拡がりです。

本当はもう少しステップがあるのだけど「幸せを求める事そのもの」が大事な一歩になります。

「自分は幸せでありたいと本当は思っている」

これを自覚できるかどうか。

これが第一段階です。

人は「幸せ」を意識し始めると、いろんな方向に意識が向きます。

人によっては前向きに考えられることもあれば、「なんで私は幸せじゃないの・・・」という方に意識が向いてしまうこともあります。

「苦しくなる選択」はすべて間違いです。

楽が良いとか、嫌なことはダメという話ではありません。

やりたいことの中には面倒くさいことも、嫌なことも山ほどあります。

それでも楽しいのだからしょうがない。

それでもなぜか惹かれるのだからしょうがない。

やる気は出ないけれど、でも忘れることも出来ない。

そういうことに改めて意識を向けることが大切です。

これがその人の根っこであり、「心の部分」です。

ここが基点になって外側に拡がっていきます。

外側とは意識・自我・感情・身体といった感じです。

自分の幸せを感じ取るために、これらは存在しています。

自転車や自動車に乗っている感じです。

運転者が心、自転車や自動車が意識・自我・感情・身体です。

いかに心が大事かが分かります。

意識・自我・感情が身体を使って自分の想いを現実にしているように見えて、実際には心が意識・自我・感情・身体を使って現実を作り出しています。

心に声があるかどうかは分かりませんが、心に意識を向け、心が受け入れてくれる事を意識・自我・感情・身体を使って形にしていくこと。

これがこの世界で生きていることの目的みたいなものかな。

意識・感情・身体が大事だと習ってきましたし、何を意識するのか、何を感じるのかで人生は大きく変わります。

ただ、これは我々が生きていることの本質(幸せであろうとする)からすると、まだ途中の理解でした。

心の存在が意識・自我・感情・身体に影響を与えることを理解し、心の求める方向に意識・自我・感情・身体を向けていく。

これが今生のあり方です。

どのように言ったとしても、毎日ご飯を食べ適度に運動し、仕事をし、やることを積み上げていくことに違いはありません。

しかし、本質を意識して生きるのと、目の前のことに振り回されて生きるのでは、全く違った人生になります。

10年ぐらい前までは良い大学、良い会社、出来るだけ「条件の良い」ものを選ぶことが幸せに繋がると思われて最後の時代だろうと思います。

条件で選ぶのは目先のことであり、本当は物事の本質ではありません。

そういう事に気がつく人が増えてきたので、「生きる意味」みたいなことが目立ってきます。

「こんな世の中で生きる意味なんてない」と感じてしまうのは、世間の様子と自分自身を比較するからです。

比較するというか、本当に必要なのは自分の内側の存在に気づくこと、根っこの根っこで何を感じているかに意識を向けることです。

一度、内側に意識を向け、おぼろげながらでも「これかな」と感じ始めると、意識の持ちよう、自我・感情の動き、身体の使い方にも変化が出始めます。

人は本質的に幸せであろうとするということは、人は本質的に幸せだってことです。

強引な結びつけに感じると思うのだけど、じっくりそれぞれの関係を紐解いていくと、そういう答えにたどり着くんです。

だからそこから始めて、意識を通し、自我と感情と身体を使って形にしていきます。

根っこがしっかりしていると何をどうしたら良いかがわかりやすいですし、安心して生きることが出来ます。

そして身の回りのことに左右されにくくなります。

そして、「今が大事なんだな」ってこともはっきりします。

周りのことが気になると周りに振り回されますが、自分の中に意識を向けると、周りがどうであっても振り回されなくなってきます。

そして、自分らしく生きていける。

これが心から始めて外側に意識を向けていく効果であり、この世界で生きている価値・・・かな?

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