ふと思い浮かぶことがあるのでたまに書くのですが、今回のお話は「天国と地獄と現世」です。
死ぬと天国に行くとか地獄に行くとか、輪廻転生とかいろいろとあると思うのですが、私自身は「それぞれは同一の場所に存在しているよね?」って思っている人です。
それをどのように言うのかは知らないのですが、全てが同じ瞬間に重なっている状態です。
ただ、見えている次元が違う感じです(違うのが次元なのかなんなのかは、まだ分からないです)。
現世と言われる今この次元・瞬間ですら、人によって見えているものが違います。
天国が見えている人もいれば地獄が見えている人もいるでしょうし、同じように見えていると思っているモノが全然違うように見えているとも思います。
だから何?と問われるとき、死んだら天国に行くとか、自分は地獄だなとか考える事にあまり意味は無いかなと。
全てがこの瞬間に集約され、その人の存在によって見えているものが変わるなら、「〇〇したら〇〇」ということに矛盾があります。
だって、すでにその状態がこの場に存在していて、見えていないだけだから。
ふと何かを感じたり、ふと何かが浮かんできたりっていうのは、見えていなかったもの・感じられていなかったものが一時的に見えてるんじゃないかな~って思います。
面白いのは全てが存在そのものということです。
それは自分自身でもあるけれど、自分自身を含めたもっと広い存在の全てのことです。
突き詰めていくとそういう感じになる。
だから大事になることがあります。
天国に行きたい人は今から天国の生活を意識した方が良いです。
地獄に行きたくない人は今から地獄に行かないで済むような生活をした方が良いです。
それらは未来のことのようにみえて、今この瞬間のことでもあるからです。
時間が経てば楽しくなるとか、苦しみから抜け出せるとか、そういう風に考えることがあるかもしれません。
しかし、この世の仕組みから考えると、今が楽しくないのに時間が経てば楽しくなる理由は無く、苦しみから抜け出そうとしていないのに苦しみから抜け出せる理由もありません。
その瞬間そこにあるのは「見えている自分自身」です。
何を意識し、何を見ているのか
それがあなたの世界を創り出している
そういうことがふと思い浮かんだので残しておきます。
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