ルールや作法が生きるのに大切なことを教えてくれてる気がするけど、気がつくのは難度が高そう

ルールとか作法とか大事だけど、本当に大事なのは違うところにあると考えています。

いろんな場面にルールとか作法とかあります。

占いにもたくさんルールがあり、○○をしたらダメとか、○○をしないといけないとかあります。

ルールがあるからすごく悩む人が居たり不安になり、大丈夫だろうかとか、ダメなんじゃ無いだろうかと感じる事もあります。

ルールを大切にするのは大切にする何かがある時で、この「大切な何か」に気がつくとぐっと楽になります。

私が素敵だなと思うのは、高尾の千代田稲荷神社さんの関係者に会ったときに「作法よりも気持ちです」みたいな話を頂いたことです。

「私たちはこういう感じでやってます」と教えて貰ったのですが、同時に「形も大事だけど一番は大切に想う気持ちです」とお話になってました。

ルールや作法は想いの表れを形にしたものだって言っているようなものですよね。

昔、早稲田の近くにあるフォーシーズンズホテルに泊まったことがあったのですが、東京に来たときに思い切って泊まりました。

北海道から仕事の移動で来ていたのでラフな格好でしたが、初めてデニムでロビーを歩くのが恥ずかしいと思ったんです。

なんていうか、「場に合わない」みたいな感じでした。

今なら何も感じなさそうで怖いのですが(笑)、その場の空気感を大切に感じ、その場に合う装いをすることは大事だと思います。

今の時代は何でも自由な感じ(気のせいだけど。笑)がしますし、やったもん勝ちみたいなところもあり、実際いろんな人が居ますが、そうだとしてもその場を大切にしている人が居て、その人達の想いを大切にすることは愛があると思っています。

「愛がある」なんて胡散臭いこときわまりないですが、「大切にしたい」という想いは素敵ですし、心に響きます。

積み重なってきたルールや作法は全てこれに準ずるところがあります。

私にとっては占いのルールが分かりやすいので説明に加えていますが、少なくともこの占いの業界の中で「○○しなければならないこと」なんてありません。

大切なことが分かっていれば、そしてそこさえ外さなければかなり自由度が高いです。

占いのルールから外れたからといって不幸になることも無いし、不運を呼び込むこともありません。

何が大切なのかを知る、本当に望んでいることは何かを知ることに意識を向けます。

これは自分自身を大切にすることに繋がります。

占いを受けたりするのは「良くしたい」という想いの表れで有り、それは「自分を大切にしたい」という無意識の表れです。

「占いを大切にしたい」じゃなく、想いの中心は自分自身です。

ルールが大切なのではなく、自分自身を大切にするためにそのルールが持つ役割は何だろうかと考える必要があります。

占いに縛られると、いつの間にかルール通りにやることが大切、ルールから外れると良くないみたいになりがちです。

結果的に「自分を大切に」ではなく「占いを大切に」しています。

何も考えないで占いの通りにやっている方が楽ちんですが、そのうち「本当に占いの通りにやっていて良いの?」と想うようになります。

そういうもんです。

占いでもなんでもそうです。

○○が正しいやり方、正しい作法と言われる通りにやれば何も考えなくて良いです。

正しいやり方を知っておくことも大切ですし、そこを飛び越えて本当に大切なことは何だろうかと考えることも大切です。

考えてやってみて、また考える事で意識していることの感度が高まります。

ただルールがあることでいつの間にかルールの通りにやらなければならない、作法の通りにやることが正しいとなりがちで、気がついたらルールや作法がメインになり「何のためにそれらがあるのか」が分からなくなってきます。

自分を大切にするためにそれらがあるのに、ルールに縛られてしまい不安や悩みに繋がっているならなんか違うよねってなります。

不安や悩みが気づきのシグナルになっていることが分かります。

正しくあろうとすることも良いですし、それが必要な時も多いです。

一方で「本当にそれで良いのだろうか」と考える、そういう時が必要な場面が増えてきていると感じます。

どうしたら良いか分かりにくいから外に答えを求めがちでそれがルールなのですが、「なんか違うな~」と感じられる時代になってきたのかもしれません。

それなら大切だと感じる事を大切にするために何が出来るだろうかと考えてみると良いきっけかになります。

ずっと前から感じていた違和感に答えが見つかるかもしれないです。

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