高尾山の下山ルートを変えた日から運命が変わり始めたお話の続きです。
前回のお話は千代田稲荷神社さんの管理を任されている人達に「会うだろうな~」と思ったら、会いました~というお話で終わりました。
この方達にお会いした日は、普段より少し早めの時間に千代田稲荷神社さんに到着しました。
「会うだろうな~」と思っていたら、いつもは居ない境内の中に作業をされている方々が・・・。
「あの~~、ここを管理されている方ですか?」
と、話しかけたら「そうです~」とのお返事でした。
管理されている方にお会いした時のための返事を用意していましたので、「実は私たち持ち主の方から掃除をしても良いと(直接じゃないけど)言われてまして」と魔法の言葉を伝えました(笑)
最初は「誰この人達?」という感じで見つめられていましたが、少し柔らかくなりました。
その後、「せっかくだからどういう風にやっているか見ていきますか?」とお誘いを頂き、この神社での作法を教えていただきました。
この時に私が気がついたのは、『あぁ、千代田稲荷神社さんが「こういう風にやると良いよ」と教えてくださったんだろうな~』と合点がいったことです。
神社さんの作法などほとんど分かりませんし、掃除も出来る範囲の事しかやってません。
というよりも結構好き放題掃除してました(笑)
数ヶ月の間にまずは刈り込みバサミを購入しヤブを刈りました。
ホウキなどはそこに置いてあったモノを(勝手に)使っていたのですが(この出会いの時にOKを貰いました)、竹箒と熊手をへし折ったため(経年劣化?)、途中で購入して入れ替えたり。
バケツも置いてあったのを使っていたのですが、ひび割れてしまったので、これまた購入してきて入れ替えたり。
落ち葉を掃くのが大変だったので、ブロアー(送風機みたいなもの)を購入し吹き飛ばしたり(これは超便利!)。
本殿の中のホコリも全部飛ばしてやりました♪
汚れが目立つところは最初の内は手でやってましたが疲れるので、電動ドライバーを購入しブラシを取り付けて快適に掃除をしたり。
今に至っては、刈り込みバサミは疲れるので、草刈り機を購入する運びとなりました。←今ココ
同じ掃除をするにしても、掃除をする私たちも楽しく、そして空間を快適に出来たらと思いながら、とにかく「嫌だな」と感じることはやらないようにしつつ、「ダメなら教えてください」と心の中で言葉にし、ずっと掃除をしてきていました。
なんだったら、覚えた祝詞を掃除中、ちょいちょい唱えていました♪
そうしたら、この神社での作法を教えてくれる人が現れたわけです。
作法として、神社に来たら最初に「名前と住所をとなえ、誰が来たかを伝えてから掃除をした方が良いよ」と教わりました。(いつも最後どころか、名乗ることもなく、祝詞をあげて撤収してました(笑))
お線香やろうそくのお話も伺いました。
参拝の礼儀として、祀られている神の名を唱えることも教えて貰えました。
もろもろの作法を伺い気がついたのは、ここに居ることを許されているんだな~という感覚です。
そもそも私たちがやっていることがダメなら寄せ付けない感じになるだろうと思っていたので、今やっていることは大丈夫という想いはありましたが、ここに来て神様から「OK!OK!」と管理している人達を通して教えて貰った感じです。
面白いな~と思いつつ、さらに月日が少し流れ、TSさんも何度か神社に来てくれて、いろいろな話をしてくださいました。
この神社の由来であったり、この地域の繋がりであったりと様々な方面に話が拡がりました。
TSさんがいろいろと集めた話を教えて貰う感じです。
この時の話がきっかけとなり今に繋がっているのですが、分からない話もあれば、分かる話もあるという不思議な時間でした。
何を話していたか?
「この世界は実は実在しない」と言った話。
今は分かるのですが、その時は「???」でした(笑)。
でも、これ以外に分かる話も多く、刺激を受けていた気がします。
7月は裏高尾にある駒木野庭園でTさんの写真展があったので、ここで初めてTさん登場です。(Tさん・TSさんはご家族)
Tさんとはほとんど話をする事もなく顔合わせ程度で、その後もう一度顔を見た、それぐらいの面識でした。
さていよいよハッキリと分かる運命の分岐点?です。
9月に入っても、いつもどおり千代田稲荷神社さんの掃除をしていたら、TSさんご登場。
TSさんがいらしたので、いつも何だかんだと精神世界の話が始まります。
神社でこういう話に至るのって面白いと感じます。
精神世界と言ってますが、私はそういう認識はあまりないので、敢えて言えば精神世界?見えない世界?という感じでしょうか。
いろいろと話をしていたら「後でうちにくる?Tも良いと言ってるし」とのご提案。
私の場合、こういったことは家族に丸投げなので「家族に確認しますね~」と家族に振ったら「行く~~」とのことでした。
この時、うちの家族が遠慮をしたら行きませんでした。
ここに至るまでにたくさんの運命が分岐していたことに気がつきます。
高尾山の下山ルートをいつもとは変えたのが分岐点の1,蛇滝(じゃたき)を過ぎて千代田稲荷神社さんを参拝することになったのが分岐点の2、神社を掃除中に現れたTさんとLINE交換をしたのが分岐点の3、LINEでのやりとりが途切れることなく続いたことが分岐点の4,そして今、Tさんの家に遊びに行くというのが分岐点の5です。
予定調和なのかもしれませんが、後から振り返れば完全に流れが決まっているような感じがして笑えます。
さて、とりあえず掃除を仕上げて、祝詞を上げて、お稲荷さんとかを回収して、薬王院に登って降りて、お出迎えの待ち合わせ、そしてご訪問となりました。
これが9月2日のお話です。(2月25日に違うルートを通ってから7ヶ月目です。ラッキーセブンだ!笑)
さて、TSさんのお宅にお邪魔して、最初に切り出したのは「Tさん、奇跡講座を読んでから結構精神的にきつくなっているって話なんですが、どんな感じなんですか?」と問われもしてないのに、聞いた私がここに居ます。※奇跡講座・神の使者を私は「光と愛」の話という感じで理解しています。精神世界とかはどうでも良くて、まあ、そういう感じ(笑)
7月・8月とTSさんから奇跡講座や神の使者の話を聞かされていて、この世の中の本質というか人間の本質の話が出ていました。
TSさんもTさんもこのジャンルで深い理解と実践をお持ちで、だからこそ様々な話を伺っています。
その中でTさんが修行の段階にいるとの事だったので、詳しく話を伺いたかったのです。
この場合の修行とは「不安」「恐怖」「罪悪感」といった自分を攻撃してしまうような状態をクリアしていくお話です。
テーマはネガティブと光と言ったところでしょうか。
なぜこの状態から抜け出すのが難しいのか
何が難しくしているのか
そういった所に話が及びました。
自分を責めるのには相応の理由があり、本人もそれを止めるのが難しい一面があります。
実際には「自分を責めることで、自分を守っている」そんな事に気づかせて貰える話が出ていました。
見ないようにしてきた自責の念が、奇跡講座に出会う事で一気に自分の中に押し寄せてきている感じです。
私はそこに強く関心を持っています。
奇跡講座のどこの何に触発されて自分の中に想いを溢れさせたのだろうかと。
そこで早速、奇跡講座の上下巻と神の使者という本を購入、未だに神の使者は100ページ辺りで止まっていて、奇跡講座も上巻は第四章に漸く到達、下巻はレッスン3(365あります)です。
でも、疑問も生まれました。
全ては光であれば良いだけなのに、なぜ自分を責めるような感じになるのかなと。
このブログでも愛とか光の話をしていますし、それしか話をすることがなさそうなんですよね(笑)。
愛が何か分からなくても、光がどんなものか分からなくても、意識しようとすることから始めて行けば、勝手に負の感情が消えていきます。
後から後から沸いてくるネガティブを丁寧に丁寧に光を当てていくことで、減っていきます。
光の当て方が分からなかったら、感じた事に「ここに光を当てる」と意識しつつ、光をイメージしていきます。
目を開けてイメージするのが難しかったら、目を閉じて「嫌だ」と感じるところに「光を当てる想像」でも良いです。
ネガティブは陰であり闇であり攻撃してきますが、光を意識すれば消えます。
また出てきたら、また当ててやる、それを繰り返していると出てくる頻度が少なくなっていきます。
私もネガティブを感じたら、その都度その都度光を当てることで、自分自身を穏やかにしています。
繰り返していると、自分から光を発しているイメージが出来る様になるので、そうなるとネガティブをはじき飛ばすようなイメージになるので面白いです(笑)。
奇跡講座を学んでいたら、こんな感じになると思うんですよね。
大して読んでないのにそう思えている理由は、Tさん・TSさんが「まさにそれ」って教えてくださるからです。
Tさんとのやりとり、TSさんとのやりとりを進めていく内に、闇落ちしやすい心との接し方が感じられてきました。
ポイントは、とにかく話を伺うところにあります。
最初の内はどうしても言えないことがあったり、言いにくい事があります。
思いつかないこともあれば、思い違いをしていることもあります。
そういう状況にあっても一つずつ話を伺うことで、話し手からすると普通の事なのに、私からすると「あれ?」となることが浮かび上がってきます。
ここに意識的に光を当てていき、どういう感じなのかをお互いに理解を深めます。
表面上は普通にしていても、心はいくつもの重しが乗っかっていて、どうしたら良いか分からず、ひたすら苦しんでいることが、ここで少し日の目を見ます。
思いついたことや問われたことに答えるだけでも、浮かび上がってくることがあります。
それは自分を苦しめている原因かもしれないし、心の中の本心のひとかけらかも知れないです。
この「ひとかけら」がどんな存在なのかを明らかにしていきます。
「ひとかけら」が表に出ることできっかけになって、出口を見つけるヒントが見えてきます。
一発で解決すれば良いですが、何度も何度も戻ってくるので、その度に「ひとかけら」「ひとかけら」と拾い上げて出口を見つけていきます。
心が動けなくなったときに「うごけうごけ!」とむち打っても動かないです。
だから、動かないで済む「話をする」、ただそれだけで何かが毛ほどだけどこれまでと違っていきます。
今までは「話すら」出来なかったのです。
そういった小さな変化を起こすために「話す」がきっかけとなり、「話す」が出口のヒントを見つけるヒントになってくれます。
まずは出口に向かう準備から始める、そうすることで「光を当てる」が自然と出来ることに繋がっていきます。
こういう事を私はTさん・TSさんとやりとりをする中で、気づかせて貰っています。
Tさんが話をしてくれる、TSさんが話をしてくれる、そこで気になった事を投げかける、するとTさん・TSさんは「それは考えたことが無かった」「やったことが無かった」と投げ返してくれる。
じゃあ、どういう風にやる?みたいに次に繋がっていきます。
更にやってみたけど、やっぱりしんどかったと教えて貰えるときもあります。
そうしたら、じゃあ、その時はどんな感じでしたか?と感じた事をそのまま教えて貰ったりを繰り返します。
その時に答えが出なくても焦らない。
答えを出すことが目的ではなくて、心の内側に渦巻いているモノを意識して外に出すことだけが目的です。
表に出てきた黒いモノはやりとりで消していけます。
それを繰り返していくだけで、楽になります。
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