写真↑は写真展の会場となっている駒木野庭園の夏の風景です(八王子市フリー素材)
昨日9月20日(土)は海沼武史写真展トークショウ1回目でした。(2回目は本日21日14時30分~八王子市高尾駒木野庭園)
本日21日に私も参加するので、どんな話をされるのか見に行ってきました。(話が被らないようにっていうか、どんな雰囲気になるのかを見に行った感じです)
あいにくの雨でしたが、なんだか良い感じのイベントだったと思います。
昨日のは、ナチュラリストの蜂須賀公之氏(以後、はっちぃさん)指揮によるトークショウだと思います。
はっちぃさんの采配は、トークショウの「司会」というよりトークショウの「指揮」という感じがしっくりくる感じの素敵な進行でした。
それは
武史さんの作品に踏み込み写真家から想いを聞く
中村明博氏(以後、中村店長さん)の武史さんの作品の額装に伴う想いを聞く
当たり前の進行のように見えて、絶妙な感じだったと思います。
こういったイベントの醍醐味だと思いますが、作品に対する生のナレーションは作品をとても新鮮に感じさせてくれ、深掘りが出来る楽しいものでした。
写真展のトークショウというより世界観のトークショウだったと思う
構図の話とか被写体に対する構成の話などは殆ど出なかったと思うのですが、これは写真展のトークショウだったよね?とふと思います。
何を撮影したかといった作品の話より、写真を通した世界観の話が多かったと思います。(写真展のトークショウってそんな感じ?)
「何を写したか」より、「どういう世界をとらえたか」みたいな?
まあ、分からないですけど。笑
「この作品(世界観)はこうやってみたら良いよ」と教えてくれる場面もありました。
このトークショウを見ていたら「え?どんな作品なの?」と引き込まれると思うし、引き込まれました。
トークショウの始まる前と後では作品を見る目も一気に変わったと思いますし、トークショウを初日に持ってきて欲しかったな〜とも思います。(まだ数日あるけど)
作品の接し方の片鱗を知っているのと知らないのとでは、写真の中にある世界の扉が開くかどうかぐらい違うかもです。
あ、でも写真集とか写真集カタログは家で見ることが出来るので、それもお勧めなのです。
ただ
額装された作品に触れるということは……
唯一残念なのは、写真集も写真集カタログも「額装されていない」のです。
本日行うトークショウの対談は中村店長さんと武史さん、そして私の3人でやることになっています。
話し相手のことを事前にトレースするぐらいはしますので、武史さんを掘り下げつつ、中村店長さんについてもあれこれネットの情報を見ていました。
中村店長さんの作品に対する姿勢は、武史さんの「ありよう」に似てるなって感じました。
私の印象では、中村店長さんが作品を額装する時、作品の「存在」そのものを額装で引き出そうとしている感じがします。
作品の「存在」とは、その作品に見えているけど見えにくい本当の世界のことです。(妄想です妄想)
中村店長さんは、武史さんが作品を生み出す時と同じような姿勢で、それを感じ取っている印象があります。
だから、中村店長さんにはごまかしがきかないですし、ごまかすような作品に惚れ込まないような気がします。(トークショウでも気がつくって言ってました)
今回の海沼武史写真展は、この中村店長さんの額装した作品の展示で構成されています。
この「額装された海沼武史の作品」は実際に見るしかないです。
この作品とか↓
— Kazuo Uchida (@kunetwork) September 20, 2025
この作品も↓
— Kazuo Uchida (@kunetwork) September 20, 2025
この二つの額装された作品には物語があります。
トークショウの様子は後日YouTubeで公開されるので、楽しみにしてください。
でも、実物が見られるなら実物を見て欲しいと思います。
額装された事でこの作品のもつ世界が感じやすくなっています。
更に、この作品↓
— Kazuo Uchida (@kunetwork) September 20, 2025
展示されている作品とは違うのですが、似た作品です↑
写真集で見る作品と額装された作品では伝わってくるものが違います。
それは当たり前のことなのだと思うのだけど、作品にある「存在」を額装された作品は「そこに世界がある」と感じやすくなります。
うまく表現出来ないのが残念ですが、作品があってこその「存在」ではあるのですが、「存在」を額装するとこうなるのかっていう世界が生まれるやつです。
それは写真展じゃないと見ることが出来ないです。
たぶん、「意図があって額装されている」ということを知らないでも、気がつく人は気がつく、惹かれる人は惹かれると思います。
実際に引き込まれてずっと見ている人も居たそうです。
でも「意図があって額装されている」と知った上で作品を見ることが出来たら、それも素敵なことだと思います。
それは本当は誰もが求めているような世界であり、とても貴重な経験ですし、大切な自分だけの何かに触れることが出来ると思うのですが、どうでしょうか。
額装が無くてもその「何か」に触れることは出来るのですが、「存在を額装された作品」はたぶん次元が違うんです。
だから実際に見る機会を手に出来るかどうかは、「自分自身」に触れる機会を手に入れるのと同じような意味を持つと思いますが、何を言っているか意味不明だとも思うので寝言です。笑
武史さんには武史さんの世界があり、中村店長さんには中村店長さんの世界があり、それが重なることが楽しいのだろうなって。(通常は重ならないので)
新しい作品・古い作品が存在しない「存在そのものの作品」
それと今回のトークショウで特に記憶に残った話題がありました。
時間の経過として、新しい作品・古い作品があります。
今回の写真展には、いわゆる作成してから時間が経ったという意味で「古い作品」も多いです。
はっちぃさんがこの件について触れていました。
「新旧の作品があるけど、その辺はどういう風に考えてる?」みたいな感じです。(はっちぃさんなりの答えは明確にお持ちになりながらの投げかけだったと思います)
確かにそれぞれの作品には新しく作られた作品・以前作った作品があるのですが、武史さんの作品にいわゆる「時間」は写っていません。
私には分からないのですが、撮影技術の新旧というのはあるのかもしれないです。
しかし、撮影技術が分からない私からすれば、全ての作品に「時間」は見えません。(素人のたわごとです)
面白いのは、額装をした中村店長さんご自身が、作品に時間の要素を見ていないことです。
中村店長さんは、作品の「存在」を額装しているので、言われてみれば時間が無いのは当然でした。
中村店長さんは『「その場に合う合わない」はあるけれど、「新しい古いは無い」』みたいな事を言ってました。
中村店長さんも額装技術で作品を額装しているわけでは無いってことだと思います。
技術には新旧があるのかもしれませんが、技術を超えた何かで額装をしているのであれば、時間は出てきません。
そういう作品達が今回の写真展で展示されています。
これは写真集では再現出来ない・・・。
とても残念だけど、でも機会を得ることが出来る人が居たら、是非触れて欲しいと思うほどには魅力的な気がします。
中村店長さんを掘り下げていたら、以上のような印象を持ったのでした。
勘違いの思い込みかも知れませんが、たぶん、そんなに外れていないと思うのです。
まあ、素人の妄想なので適当に流して頂けたらうれしいのですが、火曜日の祭日まで写真展をやっているので、額装された作品に触れて頂けたらと思います。
それぐらい二つの世界が重なった作品は何かに気づかせてくれる気にさせてくれます。
あ、本日(21日)14時30分からのトークショウの準備の話でした。
ここ数日、そればっかり考えているので、なんか形になったら良いなって思っているところです。
写真展にいらしたついでで良いので、トークショウにも顔を出してください。
後からジワジワくる気がします。(今日のトークショウを見た後で後でジワジワきたから)