映像で音楽をかなで、人の存在が光るとき

前回はふじだなさんでつくしさんの絵を見に行く話をしていましたが、その続き。

今回のお話は予定調和の予定でしたが、書いている間に違う話になりました。笑(最初の方は予定調和に絡む話です)

つくしさんの展覧会を見に行く時の話で、千代田さんの掃除の前にふじだなさんに行って、誰もいない間に見る事が出来たらな〜と思ってましたが、仕事の目処が付いたのがお昼でした、というところから始めます。笑

午前中に行くのは無理だった〜

本当は仕事に目処が付いたらすぐに出掛けるつもりだったのですが、片付けをしといた方が良い気がして片付けてたら次の仕事が入り(笑)、それを最速で整えて出掛ける目処が付いたのがお昼でした。

高尾駅に着いてまずは展示会場のふじだなさんに行ったらつくしさんが居たというのは既にお話しました。笑

最終日は朝からいらしていたらしい。

地元の人も3名いて、みんなつくしさんのお知り合い。

つくしさんが「千代田稲荷神社を勝手に掃除してる人」と、前から地域の人に話をされているので3名のお知り合いも「あ〜」みたいになってた。

「なんで掃除されてるんですか?」と聞かれるくらいには不可思議な行動をしていますが、良い会話のきっかけになってくれてて助かります。笑

まあそれは良いとして、つくしさんから「今日(掃除の後)うちに寄ってく?」と話が出たので、千代田さんの掃除したらそのまま帰ります〜と言いつつカフェから離脱。

そのカフェから千代田さんまで15分くらい歩くのですが、その途中で武史さんと出会い「今日、寄ってく?」と奥様と同じように聞かれたので、「展覧会の片付けと時間が合わないと思うのでそのまま帰ります〜」と伝えて離脱。(最終日だったので絵の片付けがある)

武史さんと別れた後、千代田稲荷さんに到着。

今日は一人なので参道の掃除から始めてたら、下の方から参拝客が3名あがって来ていることに気がつきました。

邪魔にならないように脇にどけて待ってたら、なんか見たことのある人でした。

「?」

一番最後の人を見たら武史さんだった。笑

となればこの見たことある人は中村さんでは?と実物に初めて会った瞬間です。

中村さんって誰よ?となるわけですが、武史さんの知り合いで武史さんの動画にも出ている額装家さんです。(中村明博 美術スタイリスト

武史さんの昔の動画で見ていました↓

今回、ブログを書くにあたってもう一度見ました。(ここから予定調和の話からずれます)

すると当時気がつかなかったことに気がついたんです!(当時と言ってもここ一年ぐらいの話です。笑)

この動画は武史さんが撮影していて、構成や音楽も武史さんが入れてますが、「あぁそうか、映像で音楽を奏でてるんだ」と気がつきました。

これ武史さんのチャレンジでもあるのかな~と思ったりします。

武史さんは「動画は遊びみたいなもんだから」って前に言っていたような気がしますが、映像で音楽を奏でようとしていた気がする。

「そうかな?」と思いながら動画を見てみてください、気がつけると思います。

まあ妄想ですけど。笑

そうそうこの中でもう一つ気がついた事があるのですが、上の動画6分34秒ぐらいのところで舞台美術の話をされている人たちが居ました。

この人達を見ているときに「あぁ、これが光か」と分かりました。

この人達が光ってたんですよね。(そういう妄想です、妄想。笑)

光とは本質のことです。

本質とは私の言葉でいうなら「幸せであること」です。

この人たちは分かりやすく光ってるので、「そうかな?」と思いながら見て頂けると気がつけるかもしれません。

他の投稿で書くつもりですが、どうやって「光」というか「見えているものにある見えていないものを見るか」ということをずっと考え試行錯誤しているのですが、これなら簡単・・・だと思う。

光っている状態なので、余計なものが取り払われているので非常に分かりやすいです。

そしてこの分かりやすい時は100%幸せな状態だということが分かります。

こういうのって良いなと思います。

大抵は無意識だと思うのですが、誰もが持っているのが本質です。

ただ、無意識だから自分で自分に振り回されてしまうこともあると思うのですが、「そういうものかな」と意識することを始めると現状は大きく変わるよな~って思います。

という妄想です。笑

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