わき出てくる感情が自分のためにあるとしたら

この世界は自分のためにある

「この世界はあなた(自分)のためにあるのでは?」と感じ始めてきていて、これを自分の中の仮説として身の回りを見るようになっています。

人は幸せであることが自然で幸せに出来ている、という話は以前から感じています。

いろんな理屈を並べていくと、「幸せ」に繋がっていくためです。

最近加わってきたのが意識・自我・感情です。

自我と感情はコントロール出来る時もあればコントロール出来ない部分も多いです。

意識はコントロール出来る部分が多いですが、無意識というのもあります。

この世界が私(あなた)のためにあるなら、自我と感情が向かう方向を教えてくれているかも。

朝目が覚めた時にもっと寝たいという想いが湧き出てきます。

これが自我と感情です。

本当は喧嘩をしたくないのにイライラしてしまって言いたくないことまで言ってしまうのも自我と感情です。

「イライラする」ことそのものが自我であり感情です。

この世界が私(あなた)のためにあるのであれば、イライラするような状態になるのはおかしいです。

イライラして喧嘩をして仲が悪くなるなら、それは間違っていると思います。

ということは怒り、不安、恐れは全て間違った選択肢を教えてくれていることになります。

間違っている理由は幸せから遠のくからです。

この世界で一番良い状態は「幸せで居る」だと思っています。

これが本当かどうかを確認するために「幸せであることは間違っているのでは?」という仮説も検証しています。

幸せは間違っているという前提で考え動くと、ひたすら苦しくなるんですよね(笑)。

だから幸せで居ようとする、幸せを求めて選択をしていくことが正しいというのが分かります。

だから怒り、不安、恐れ、イライラも間違った感覚であることが分かります。

この世界が私(あなた)のために存在するなら、なぜ幸せの邪魔をするような自我や感情が沸いて出てくるのかです。

人には選択の自由、意識する自由があります。

ネガティブな想いは「そっちじゃない」というシグナルだと分かっていれば良いのですが、目の前の出来事が良ければ良いと判断し、悪ければ悪いと判断してしまいがちです。

結果的に「悪い」が続いていると感じると不幸だと思うのです。

自我・感情の捉え方や理解によっては人生が大きく違う事が分かります。

この自我・感情の反応が「幸せに気づかせる・幸せのため」だったとしたらどうなのかです。

すると話が変わってきます。

嫌だと想う気持ち、面倒臭いなと感じる感情、それらは全て「シグナル」で、どうしたら良いかを「その都度」教えてくれていることになります。

「そっちじゃない」というシグナルです。

この世界が私(あなた)のために存在し、実際にこんな感じでシグナルになっているなら、この世界は優しいです。

常に「私(あなた)」が幸せで居られるように、答えを見せてくれています。

イライラしたら「それじゃないよ」

悲しくなったら「そうじゃないよ」

不安になったら「そっちじゃないよ」

目の前の出来事の受け止め方や自我・感情の動きについて教えてくれる人っているのかな。

私自身は考える機会がなかったので、こういう理解になるのに時間が掛かっています。

でも、一度理解が始まると、あらゆる所で道が暗示されている感じがしますし、そういった意識して見ていると更に分かりやすい気がしています。

だから「幸せと自我」といった関係についても、今回のように「あれ・・・もしかして?」という仮説が生まれてくるのです。

自我や感情は何をしたいのか、何をさせたいのか。

何も考えなかったら、心の動き・変化になります。

仮説ですが、それがもしシグナルだとしたら、状況が大きく変わります。

この世界が私(あなた)の幸せのために存在するとすれば、自我や感情も当然、私(あなた)の幸せのために存在していることになります。

それなら不幸自体が間違っていることも分かります。

負の感情やネガティブな考えが多くなるほど、「そっちじゃないよ」と強く教えてくれていることになります。

もしそうなら、負の感情やネガティブな考えが浮かんだら、全力で逃げる・避けるが適切な対応になります。

嫌な事を感じればそっちじゃない。

幸せ感を感じればそっちに向かえば良い。

この世界は自分のためにあるのでは?は今でもよく考えています。

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