写真は7月24日11時38分の高尾山蛇滝ルートの入り口辺りです↑
ここ数年、「我が子がADHDと診断をされたのだけど、どのように接したら良いですか?」といった感じの相談が増えてきています。
昔からこういったご相談自体はありました。
子供だけでなく大人の場合もあります。
一つの傾向として、占い的に見てADHDという発達障害の「疾患」を持つとは解釈出来ないケースが多いです。
「発達障害という疾患」がポイントです。
今のところADHDは明確な数値的な基準での診断ではなく、総合的な診断です。
結果的に「医師が発達障害と診断するかどうか」です。
私は基本的に病院が好きなので(笑)、対処の出来る病気ならちゃんと処置なり薬を飲むなりして、必要な対処をした方が良いと思っています。
様々な民間療法よりも一定の水準のもとで判断される医療の方を優先します。
このためADHDと診断され、ADHDという疾患のために処置・処方がされているものに対して、「そんな病気は無い」とか「その診断は間違っている」という考えはありません。
今回のテーマは、ADHDに見えるような環境が作られてしまう状況と、ADHDのように見えているだけの可能性もあるのでは?というお話です。
疾患は疾患である一方で、疾患に見えるような環境が存在することもあるのでは?という意味合いです。
個性によっては病気と診断される
個性もいきすぎれば病気と診断されます。
思い浮かべやすいのは芸術・芸能のジャンルの人でしょうか。
適応障害と言われたり、それこそ発達障害と言われたり・・・。
何が普通で何が異常なのか・・・。
社会に認められれば正常の範囲で、認められなければ異常とみられる。
一面として他者の評価によって病気かどうかが決められているということでもありますが、これはこれで良いです。
これを否定してもしょうが無いです。
他者が発達障害と思っても、自分がどう思うかで世界が変わる
他者目線以外にも目安があることを知っておくことと、その目安があるかどうかで世界が変わることもあるということです。
占いは個性(本質)を明らかにしてくれます。
「個性」と言われると軽い感じがしますが、個性は人生を作り出しますし、運命にも強く影響しています。
「個性」は自分の外側との関わりもありますし、自分の内側との関わりもあります。
外側との関わりで分かりやすいのは人間関係です。
占いでいうと相性占いとかが良い例だと思います。
良い相性とは「相互に合う個性」という意味です。
良い(悪い)相性には人だけでなく、自分を取り巻く環境にもあります。
個性が活きる環境もあれば、個性が潰される環境もあります。
外にでて駆けまわっていた方が良い子供なのに、家に居る時間が長くなるとストレスが大きくなります。
これは大人でも同じで、家に居た方が良い人が外に出ざるおえないような環境にあれば、ストレス人生になります。
ストレスが大きくなると、自分の中に閉じこもりはじめたり、衝動的な反応をしやすくなったりします。
良いか悪いかではなく、人それぞれです。
親の介護のご相談もよくありますが、こちらも一緒に暮らしながら介護をした方が良いのか、離れたところに住む方が良いのか、親に関わらない方が良いのか、様々あります。
その人に合った環境を知り・作り・生きる選択をすると、その人の人生は最高の状態を維持できます。
本当に人それぞれあるのですが、この個性に大きく干渉してくるのが
常識や社会通念、「○○は○○するべき」といった思い込み
今は大分少なくなりましたが、「結婚した方が幸せになる」「結婚したら子供を産まなければならない」みたいな考え方は思い込みですし、そのように思い込まされていました。
「常識」は目安になってくれて楽なのですが思い込みを生み出してしまうため、普段とは違う何かが起きた時にストレスが生まれます。
このストレスは常識や社会通念からくる思い込みであるため、ストレスの原因に気がつきにくく蓄積されていきます。
この常識や社会通念は平均と違うものを排除しようとする力もあります。
私たちは無意識にこの影響を受けていて、「周りと違うと何かおかしいのでは?間違っているのでは?」と不安になります。
これは本当によくある話で、人と違うことに罪の意識が沸くのです。
・良い学校・良い会社に入らなかったり
・学校をやめたり、行かなくなったり
・転職が多かったり
・仕事をしなかったり
・引きこもっていたり
・結婚しなかったり
・離婚したり
・子供が居なかったり
・親の面倒をみなかったり
・周りから求められている事に気がついていてもやらなかったり
・思うように動けなかったり
・・・もうそこら中で「○○した方が良い」と言われるものに反したような気がする、ストレスになる原因が溢れています。
何かおかしいことをしているのでは無いか、間違ったことをしているような気がして苦しくなります。
周りの影響は親子関係にも影響する
親は「子供がおかしいのでは?」と思って病院に連れて行くわけではありません。
学校や先生といった周りが「病院で診てもらった方が良い」と言うからです。
周りが言うから「もしかしてウチの子はどこかダメなのかな・・・」と。
そういった社会はおかしいと思っても、それぞれに立場が有り、そのように伝えることが必要だと考える状況・評価があるので、それをとやかく思ってもしょうがないです。
でも、周りの言葉の影響を受けて、親まで「周りと同じ目線」になってしまうことがあります。
目の前で子供の姿が見えているのに、何が本当の事なのか分からなくなっていきます。
子供の個性(本質)と親の個性(本質)の違いが大きい場合、子供への理解が難しくなってきます。
日々接しているのですから「この子はこんな感じ」みたいになんとなく分かっていても、理解すること自体が難しい印象を持ちます。
更に、親の想いと周りの評価に違いが出てくると、「どうすれば良いの?」と余計に分かりにくくなります。
自分の事を誰かに話すことは難しい
子供は何歳であっても自分の内側の事を親に伝えることは難しいです。
大学生ぐらいでも「自分の内側」は容易ではありませんし、大人でも難しいです。
だから、「見えている姿・見せている姿」で判断することが多くなりますし、周りの評価の影響も大きくなります。
これが親の子供に対する悩みに繋がります。
最初にお伝えしたとおり、ADHDという疾患は病気です。
病気なのに病気じゃ無いというのはおかしいです。
だから、私はADHDという疾患になっている人に対して、「あなたはADHDではありません」とお話することはありません。
しかし、占いで分かる「個性(本質)」を本人に代わって伝えることは出来ます。
個性(本質)は環境と接し方で普通になる
周りと著しく違っているように見えても、それは「今の環境の中、今の接し方だから」の可能性があり、環境と接し方が変わるといわゆる普通の感じになっていきます。
私は新宿に住んでいるのですが、いろんな人がいます。
もう・・・本当にいろんな人がいます。笑
あ、そういえば、高尾に行きましたが、新宿にはあまり見掛けない人がいました。
高尾の千代田稲荷神社さんの掃除に行った帰りに「上半身裸でランニングをしている男性」とすれ違いました。
新宿だと職務質問されると思います。笑
新宿でも上半身裸でランニングをしている人は居ると思いますが、滅多に見掛けません。
皇居周辺はランナーが山ほどいますが、あまり居ない気がする。笑
男性のような女性もいれば、女性のような男性もいるし、趣味にのめり込みまくった感じの人もよく見掛けますが、違和感無く普通です。
北海道に住んでいれば雪が降るのは普通ですが、沖縄に住んでいたら雪が降る状態は異常です。
しかし、異常といっても「周囲との違い」とはこの程度のものです。
占いはこの違っているように見える個性(本質)を明らかにします。
個性の内容が明らかになると、親御さんは「あれ?普通じゃん」ってなります。
その親にとって扱いやすい・扱いづらい個性はありますが、「この子はこういう性質を持っている」と分かってくれば、親は大人ですから対処もしやすくなります。
理解が出来ないから不安になり、周りの言葉に強く影響を受けています。
子供の個性が際立っていると、親として理解が難しいというのはあります。
上でもお話をしたように、子供は自分の内面を言葉にするのが難しいためです。
親は子供に対して、健康に元気に育ってくれれば良いと思っています。
それだけで良いのに、周りがあ~だこ~だと言ってきたり、親自身もうまく子供を理解出来ない時もあって迷います。
自分の子供だからと理解出来るわけではない
子供の事がよく分かる親は、大体似たような個性(本質)を持った親子です。
似たような個性なので理解しやすく、結果的に周りの影響を受けずに子供を見守ることが出来ます。
子供の事が分かりづらい親は、大体かなり違った個性(本質)を持った親子です。
違う個性なので理解しにくく、接し方や育て方に悩む傾向にあります。
どちらが良いか悪いかではなく、占い的にはどちらも「この親に必要な子供で有り、この子に必要な親である」という見解です。
本当にうまい具合に相互補完しているからです。
だから子供との接し方や子供がよく分からないというのは、普通の状態です。
個性(本質)は人生を作っているのですから、考え方・行動・態度・言動など全てに現れます。
ADHDなのでは?とか、ADHDって本当なの?と感じるケースで多いのは、
集中力が続かない
忘れ物が多い
じっとしていられない
衝動的に発言・行動する
子供ならどれもありがちな状態ですし、大人であっても多かれ少なかれあるものです。
ADHDは発達障害と言われます。
昔は子供の個性と言われていたもの、違和感があったケースも医学的な目安が無かったため、「おかしい」と思いつつも周りが受け入れていた事情もあります。
それが今は目に付く症状が複数重なり継続される場合、一つの障害として医師から診断されるようになってきました。
これは大切な環境の変化だと思います。
今までどうしてなのか分からない事に対して、医学的にアプローチが出来る道が開かれた事によって安心感があります。
そう思う一方で「本当にそれで良いのだろうか?」と感じる親御さんもいます。
薬などで対処が出来るのであれば、それで良いと考えることもあれば、「どうすれば良いだろうか」と考えることもあります。
この時に「子供を知り、自分を知る事」が道を開いてくれます。
親は子供のことを知っていると思っています。
それは子供の見えている姿・見せている姿ではありますが、子供の個性の一部分です。
それを少しでも掘り下げようとするのが占いです。
占いのジャンルは多分野に渡り、願いを占ったり、未来を占ったりするジャンルもあれば、現象を明らかにしたり、個性や性質といった本質を見極めるジャンルもあります。
占いではADHDかどうかを判断することはあり得ませんし、不可能です。
それは占い師の領分ではないです。
では占い師の領分は何かと言えば、「この子にとって生きやすい環境は何か?」です。
ADHDなのでは?と言われるような子供は個性的です
個性的だからこそ、普通の環境では受けきれないことが多いです。
親に理解があったとしても、一般的な受け入れ機関(保育園や学校など)では難しいこともあります。
どうしても一般的な受け入れ機関は「標準」を基準とし、子供達の教育も接し方も「標準」に寄せようとします。
結果的に「標準の教育に合わせられる子が普通の子で、合わせられない子が発達障害」と言った短絡的な思考になることすらあります。
子供に合った環境、接し方を知ることです。
ADHDのように見えるのは、その子供に合った環境、接し方がうまい具合に出来ていないからなのかもしれないのです。
活発な子、元気な子に多いように見受けられます。
親の言うことを聞かないのには理由があるのかもしれません。
衝動的になってしまうのにも、何かを伝えたいのに言葉に出来ないからかもしれません。
一つ分かることがあるとすれば、思ったような感じの育児になっていない時、それは子供からのメッセージだということです。
子供は想いを言葉にして親に伝えることが出来ません。
これは大学生であっても同じですし、大人になっても意外に出来ないものです。
思っている事・感じている事はあるのだけど、それを言葉にしてきていないからです。
だからこそ、親御さんには別の視点で子供を知る機会・見る機会を増やすことをお勧めしています。
子供に対して何かをしなければならないのではなく、子供の事を様々な方面から知ることで、自然と必要な答えが見えるようになってきます。
親と似た子もいれば、似ていない子もいますが、それぞれに「この親にこの子が生まれるのってうまく出来てるな」と感じさせられます。
個性はある環境では普通と言われ、ある環境では異常と言われます。
もしADHDかもしれないと気になったら、環境と接し方に変化を取り入れてみると良いです。
意外になんとかなるかもしれないです。
必要な時はご相談ください。
コメント