厄年や天中殺を気にした方が良いの?

八方塞がり・大殺界・天中殺等の運気が下がる時

厄年や天中殺も私からしますと、気にしても良いですし気にしなくても良いですし、どちらでも良いかなと思っています。

そもそも、私は自分の占いでは厄年も天中殺も気にしないです。

そのかわり、他の占いの基準で運勢の動きを「気にしている」部分はあります。

占い師によって気にするポイントが違うのですが、要は「運勢の上下を気にした方が良いか?」という話です。

占いを気にする時・しない時

私自身の場合は占いを使うタイミングと使わないタイミングがあります。

占いを使わないタイミングは、自分にとって必要だと判断出来る事をやっている時です。

こういう時は占いでどういう状況にあったとしても、ほとんど気にしていません。

気にするのは選択の余地が出てきた時と方針が決まりだした時です。

何かをやっている時、たとえば今の様に引っ越しを考えて物件を探すときには占いを使いません。

可能な限り幅広い選択肢で探す

まずは自分の条件に合う物件を最大限の幅広さで探します。

究極、場所と価格だけで探します。

場所と言っても風水的な話ではなく、利便性の話です。

私がメインで占っている吉方位も凶方位も条件に入っていませんし、家相も入っていません。

「立地が大事だよ」って言ってるのに、立地すら条件に入ってません。

こうやってもっとも緩い条件で探すことで、ご縁のある物件と繋がりやすくすることを目的としています。

それでも「これだ!」っていう出会いはタイミングなんだろうな~と思っていますが。

こうやって条件を拡げて探していくなかで、いくつも出会いが生まれますが、自然と外れていく出会いが出てきます。

ピックアップされた候補を占いで絞る

現実が絞られてくることに合わせて、占いを参考にし始めます。

占い的にダメな選択を外していき、許容範囲のモノを吟味していきます。

すごく良い!っていうのも出てきますが、あと一つがダメで選択から外したりします。

惜しいな~と思うけれどしょうがないって感じです。

そして、こういうのが大事になってきます。

私自身、これで危ういのを避けました。

最終的に「行ける!」と思うか、「無理だな」と思うかは状況次第ですが、現実だけ・占いだけの判断ではなく、総合的に見ての判断が未来の不幸を避けやすくしてくれます。

占いも現実も考慮する事で最適解が見えてくる

厄年だから天中殺だから、あるいは私が自分で使う占いで運勢が下がるから、とかではなく、いろいろと比較して考慮しての結果でどうなのか?です。

無理をしていないか、無理をする部分があったとしても後々大丈夫か?などを考えるわけです。

人は想定が出来ていれば多少の事なら対処が出来ますが、想定する必要があるのに見ないようにすると、後がめっちゃ大変になることがあります。

厄年だったから天中殺だったからというよりも、見ないようにしていることが無いかどうかを確認した方がうまくいきます。

結果的に運勢の上下を知っておくことは大事かもしれませんが、それだけで判断するのは危険なので、現実を吟味する上で参考にするぐらいが丁度良いっていうお話です。

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