うまくいかない時は、時間を掛けてうまくいかない時間を過ごす時

この世界は自分のためにある

写真は4月27日午後の静岡の山の中の風景↑(紫の花みたいなのが咲いてたけど、何かは分からないやつです)

この世の個人が体験する全ては経験であり、笑い話のネタだと思っています。

もうほんとこれ。

世の中に失敗なんてないと言いますが、それはそう。

失敗と言えば失敗だけど、失敗を成功したとも言いますよね。

分かっているのは、一つの事を経験したこと。

出来事に良いも悪いも無く、良いと評価するか悪いと評価するかで違いが生まれるから不思議です。

うまくいかない時、それはまだ掛けた時間が十分でないか、うまくいきにくいやり方をやっているか、うまくいかないなりの背景があります。

うまくいかない時は遠回りな感じですが、必要な到達点にたどり着くための途中

もう随分昔の話になりますが、私は市役所の一般職としてロシア語の通訳をしていました。(わざわざ詳しく書くのは専門職として雇われるケースもあるからです)

地方の市役所でしたが、人口に対してロシア語で通訳が出来る人は結構居ました。

ただ、ロシア語通訳が出来るレベルの行政マンも数人いましたので、ロシア語に関しては恵まれた場所でした。

ただ、それでも現場に出れば、常に話題の中心に居て一人で通訳をする事になります。

セレモニー通訳をする事もあれば、会議通訳もありますし、イベント通訳もあります。

その場で日本語とロシア語を中継出来る人は一人しかいないのですから、全てが集まってきます。

日本に居たときはまだ良いですが、ロシアに駐在中は結構きつかったです。

通訳者は通訳だけする人と通訳をしつつも現場をコントロールする立場になる人に大体分かれます。

私は通訳者兼行政マンでしたので、まあ各種手配もすれば随行もするし、もちろん通訳も翻訳もします。

地方の役所の通訳者なんてそんなもんです。

ロシア駐在中はほんと日々、正しく伝えられているかはもちろんですが、この人は何を話すんだろう、私はちゃんと訳すことが出来るだろうか、伝えられるだろうか、伝わっているだろうかという想いに追われていました。

うまくいってるかどうかとか、辛いとか感じる暇は無く、目の前に降ってわいてくる役割をひたすらこなす日々です。

きつかったといえばきつかったです。

通訳って常にその場で答え合わせをするんですよね。

こちらの意図が通じていなければ見当違いな返答が来るし、相手の意図が伝えられなければこちら側も見当違いな発言になります。

だからきつかったような気もしますが、忘れました(笑)。

そういう経過を経て分かったことは、全部途中経過だった、いつでも過程だったな~と。

たぶん今もそんな気分のところがどこかにあります。

振り返れば大変だった気もするけど、面白かったといえばそうかもしれません。

上司と口も聞かない時期が数ヶ月あったこともあれば、イベントでウォッカとかコニャックを飲み過ぎて寝ちゃったりとか(笑)。(通訳者が寝ると、後はみんな根性でなんとかしようとします。笑)

今でも思い出すのは、市長室でロシアと繋いで電話会談をした時に、言葉の意味がよく分からなくて同じ言葉を繰り返して場が凍ってたことを思い出す。(電話の通訳は精通した内容じゃないとかなりきついです)

記念公園の記念碑にロシア語を彫り込むのに間違った表記にしちゃったのを後で気がついたとか。(今も残ってると思います)

スマートにうまくいった事などあったかな・・・、あったかもしれないけど、それで当たり前が本当であり求められている結果でした。

その当たり前が出来ず、ロシア人の日本語通訳の人が私の訳語を聞いて笑ってるんじゃ無いかと思い焦ったことも何度もあります。

大人のロシア人はまだ良いんだけど、子供のロシア人は言葉が通じなくて困った場面も何度もあります。

日本語でもそうですが、子供に対して丁寧語で話してもなかなか通じません。笑

でも、子供に合わせた言葉を使い分けるほどの語彙力は無いので、ごり押しします。笑

経済交流、友好交流、文化交流、現地駐在、そういうのを10年やりました。

今思うのは通訳であれば対象国の語学が出来た方が良いけど、結局、全てを網羅する事は出来ないし、日本語ほど語彙力があるわけでも無いので、現場でやりやすくなるかどうかは一生懸命さ次第な気がします。

それではダメなのかもしれないけれど、一生懸命は文化が違ってもちゃんと通じるから面白いです。

あちこち駆け回って、出来る事をやっていれば、支えてくれる人が増えてた気がします。

ダメだと思ったこともたくさんあると思うのだけど、ダメならしょうがないんです。

しょうがない中で何か出来ることを探し、次に繋げて、またダメで、ダメでダメでそれでもダメで。

最終的にダメ・・・になったことは無いな。笑

何とか切り抜けました。

そんなもんです。

今、あの時のことを思えば、まあ何を言ったってやるならやるだけなんです。

ダメならダメじゃ無いことを見つけて繋げて、何とか形にしていきます。

面倒な感じになったとしても、自分がしんどくなるか、他者に迷惑を掛けるぐらいです。

そんなことをしたくないって言ったってなるときはなるし、ごめんって謝るしか無いのですが、それがまた次に繋がってるから面白いです。

取り組んでいることがうまくいけばそれで良いけれど、うまくいかないとしてもそれは「現段階」の話なだけでまだ途中です。

必ず何らかの形になっていくもの

うまくいっているとか、スムーズと感じるのも物事の進みが早いからうまくいっていると感じているだけで、遅くてもやっぱりうまくいってるんです。

多少寄り道をする所もあるかもしれないけれど、その分、より良い感じでうまくいってるんです。

なんだったら目の前の案件の達成はまだ途中経過で、次の次ぐらいのために今やっている場合もあります。

思った時間内じゃ無いからうまくいっていないと感じていますが、うまくいかないと感じる案件はそれぐらい時間が掛かる案件です。

だから、うまくいかない感じがする時は「あ~、これ時間が掛かるやつだな」と1年とか5年とかで考えていきます。

5年やってもダメなら、10年掛かる案件だろうと思います。笑

ダメな形を積み上げていけば、後はうまくいくしかないと言いますが、その通りです。

あれこれ試すんです。

それらは全てが次のイベントのために必要な準備になっています。

うまくいかないというのは、今を彩る上に、さらに楽しい人生を彩ってくれる隠し味みたいなものです。

うまくいかない事で心が疲れてしまうことがあります

それはうまくいかせようと焦っている状態です。

うまくいかない時は焦りがちですが、時間が必要なのでどう転がってもうまく行かないです。

うまくいかない時はやる事・出来る事をやるだけです。

何度もスタート地点に戻って、繰り返します。

無駄なように見えて前よりほんのちょっと事情が分かっていますから、少し違った感じのうまくいかなさになります。(うまくいかないのは変わらない。笑)

大体、一通りうまくいかない感じになると、選択肢も限られていることが分かるので、後はそれをやれば形になります。

時間が掛かる時は掛かります。

そういうもんです。

だからうまくいかない時は「おっと繰り返しの時間になりました!」と思うぐらいがちょうど良いです。

私だったら掃除してます。笑

掃除して、ものを減らして、掃除しながらやることをやります。

物事がかみ合い始めたら、ルーティンタイムが終わり物事が動き始めます。

なんていうか、やることをやりながら待つだけです。

身の回りも綺麗になり、片付ける用事も片付き、やることをやっていたらうまくいっていなかったことも片が付くみたいな。

結果はそのうち付いてきますから、とりあえず掃除でもしているぐらいがちょうど良いです。

悩んだ時はご相談ください。

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