この写真↑は4月21日午前中の新宿の空。青かった~
嫌なことばかり目につくとか、ネガティブことばかり気に掛かるとかがあるかもしれないです。
これまで私は幸せな事に意識を向け、ポジティブな気持ちが良いと言い続けてました。
あれ?と
ふと気がついた事があります。
果たして、嫌なことばかりに意識を向ける、ネガティブな想いを持つことは、良くないから変えたほうが良いのかな?
あれ?
何か違うかもと考え始めました。
「否定」は悪いものなの?
「否定」について考えてみると、気づきみたいなものだと気がつきます。
なぜ嫌なことばかり目につくのか
なぜネガティブな思いにばかりなるのか
それは悪い事なのか
どちらかと言えばそっちに意識を向けない方が良いと考えているので、良いのか悪いのかを考えた事は無かったです。
最初から「嫌な事やネガティブな事に意識を向けない方が良い」としか思っていなかったです。
それが生きる上で求めていく本来の姿だろうと。
本来は不要なはずなのに、嫌だ嫌だと感じる事、否定する事、その状態が存在し、その状態に居続ける居るということは、そこには守っている何かがあります。
なにを守っているのか?です。
私としては守っているのは「自分自身」だろうと考えています。
否定や拒否は自分を守ってくれるけど、苦しさを生むかも
否定や拒否に一切意識を向けていない私では分からないので、このことについて武史さんに聞いてみました。
その結果、否定・拒否をすることで「自分を守っている」という所にたどり着きました。
この件を武史さんに聞いたのは、この方面に精通しているからです。
否定・拒否でもう一つ分かったのは、それが良いか悪いかではなく、それしか方法が分からないことです。
これはかなり大きい気づきに繋がります。
自分を何かから守るための拒絶であるなら、それは大切な事です。
この視点で否定・拒否を考えると自分を守る術の一つになります。
でも、それしか方法が分からないなら、それはとても苦しい。
否定・拒否の先には行き詰まりがある。そして、そこにチャンスがある
同時に分かっていることがあります。
自分を守るためであっても、否定・拒否はし続けられないことです。
必ず行き詰まるように出来ています。
行き詰まるからダメということではありません。
行き詰まることによって「違う手段を取るときが来たよ」というシグナルです。
シグナルになってくれるのは良いけれど、他にどうすれば良いのか分からないから否定や拒否をしているのですから、それが出来ないとなれば八方塞がりになったように見えます。
否定・拒否の根っこにはこだわりがある
どうしたら良いか分からないと言いつつも、本当は何となく分かっているんです。
自分のこだわりから否定・拒否が生まれていることをです。
否定・拒否をするということは、周りを拒絶することです。
周りを受け入れられない自分がそこにいて、受け入れられない理由もあります。
信じられないというのも大きい。(本当は信じるかどうか、信じようとするかどうかは重要じゃないです)
それは相手や周りを否定・拒否しているようにみえて、「自分自身を受け入れられない」ということでもあります。
こだわりはすごく大切なもののように感じるものですが、その全てはいつか手放す事が決まっています。
誰しも昔は凄くこだわっていたということがあると思いますが、今はどうでしょう。
こだわらなくなった事が多くなっていると思います。
こだわることでどうしたら良いか教えて貰えている
こだわってはダメだということではないのです。
こだわる部分はがんがんこだわっていけば良い。
ただ、いつしかこだわらなくなるんです。
こだわる世界の先に自由な世界があるからです。
まわりから「○○が良いよ」と声が届いた時、今こだわっていることを手放す時が来ています。
正しいか間違っているかではないです。
行き詰まりを感じた時はこだわりのシグナルに気づく時であり、こだわりを手放すタイミングです。
否定・拒否をし続ける限界とその先
否定・拒否の先にあるのは行き詰まりだけれど、それは悪いものではありません。
次のステージまで否定・拒否が連れて行ってくれてます。
そして、次のステージが見えてくると行き詰まるようになってます。
ただ、否定・拒否は次のステージまで自分を連れて行ってくれるのですが、次のステージの手前まで来ると「私の役割はここまで」みたいな感じになるから行き詰まります。
否定・拒否は悪いイメージがありますが、意外に優しく丁寧です。
その仕組みがイマイチ分かりにくいから、否定・拒否は悪いものみたいに思われやすいです。(私も思っていました)
でも、実際はこれらは次のステージの手前まで手を引いてくれています。
こだわりを手放す時
行き詰まりを感じる時に周りから助言が入っているような時は、もう次のステージが近いことが分かります。
そこまで来たら否定・拒否の役割は終わりを迎え、次は手放すステージに入ります。
手放すステージなので、これまでこだわってきたことは一旦脇に置いて、周りからの助言を混ぜ合わせながら出来ることから始めていきます。
こういうタイミングは普通は分かりにくいのですが、否定と拒否のお陰で実は分かりやすくなっています。
否定ばかりしてる、拒否ばかりしてる、そこに良いイメージを抱くのは難しいです。
でも、否定・拒否といった感情の動きで自分自身を守っているなら、その時々に必要な役割を持っていることが分かります。
ただ、これらの効用は有限・有期ということを知らなかったので、否定や拒否の先にどうしたら良いかが分からなかったんです。
今回、否定・拒否は実はイメージとは違う役割があるのでは?と疑問を持ったわけですが、これですっきりした気がします。
この世界は何がどうであれ、私たちをその都度導いてくれてるよな~って実感を深めました。
悩んだ時はご相談ください。