写真は11月30日7時51分の高尾山からみた風景。(武史さんがトリミングしてくださいました)
先日、素敵な気づきを頂きました。
私は「懐に入らせてくれる人に懐き、そうじゃない人とは一定の距離を置く」みたいです。
普通の事かも知れないですけど。
私の場合はこれが極端かもしれないです。
ここ数週間、久々に週1か2週に1回、千代田稲荷神社さんに行けているのですが、その帰りに武史さん、ツクシさんと話をする機会がありました。
この間も顔を出してきたのですが、あ~だこ~だと話をしている中で「なるほど」と実感したのが上のお話です。
外に出ている時は、必要なコミュニケーションをそれなりにとります。
あまり人間関係に関心がないのか、友人とか知人といった感じで人と接することはないみたいです。
かといって、挨拶をしたらみんな友達とも思っていませんが。
結果として
「内田君って友達いないよね?」となります。
言われてみると「そうかも」と感じる一方で、懇意にしている人はいます。
大体、ご飯を食べさせて貰っていたり、何かを食べさせて貰っている気がします。
これまでも大学から一人暮らしをするようになって、ずっとそうです。
結婚してからも変わってない・・・。
なぜかその人の家でご飯を食べてるんですよね。なんでだろ。
懐に入らせて貰える人と一緒に居るのが楽しいのかも知れません。
仕事でも似ています。
たとえば、私に依頼をしてくださる相談者に対しても似ています。
私に相談を投げかけられる時、その人は自分の想いをあらわにされます。
普段の生活でそういう場面は少ないと思うので、占い師に相談をするという特殊な場面だからこそかもしれないです。
私は相談者の想いを伺わないと占う事が出来ないし、占いを使わない場合であっても相談者を知らないと答えを出すことが出来ないです。
実は占いそのものは、何も無くても答えを提示することが可能です。
でも、それは占いの答えであって「その人のための答え」ではありません。
運勢・運気であれ、手相であれ、家相であれ
何を使って占うにせよ、あなたの運気は良いですね(悪いですね)、相性は良いですね(悪いですね)と答えを出すことは可能です。
結婚の時期・転職の時期は○○です。
こんな感じで占いの答えは出せます。
でも実際は違います。
これらは占いの答えでしかないことを占い師は知っています。
必要な答えは、その人のための占いの答えです。
その人のための占いの答えに必要なのが、その人の想いです。
その人の想いとは相談の内容ではなく、「なぜ、相談する必要を感じたのか」の部分です。
この想いがその人に必要な答えを引き出してくれます。
こんな感じで想いを伝えてくださる人に私が心を開くのは当たり前で、力になりたいと思うのも当たり前だと感じます。
たぶん、人にはあまり関心が無いのだと思うのですが、人の想いには強く関心を持っているのだと思います。
だから、想いのやりとりが出来る人と関わろうとし、それ以外に関心がないのかも。
というようなことを気づかせて貰えたのでした。

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