見えない世界が何となく見える気がする

写真や絵の話から音楽の話にシフトしたので違う投稿にしました。(前半はこちら

武史さんが「芸術の意義について載せてみてよ」って言った元になった私の発言の概略がこちら↓

最近、感じるのは、「芸術」は取説なのだろうなという感覚です。

「芸術には本質(美の創出)がある」

これをを知らないと難しい。

芸術家の多くは無意識にそこに気がついているからこそ、本質を形にして創り出そうとするのだと思います。

最近、私が試行錯誤しているのが武史さんが形にした「バラード」という曲です。

バラードを渋谷の町の中で聴いていると、私の存在が希薄になる感じがし、見えている世界が崩れようとする感覚がついてまわりました。

高尾山で聴いたときには自分の存在が希薄にならず、風景も崩れそうにならなかったんです。

バラードにはステレオグラム(平面の中に立体が存在する)の予感があり、本当の姿があると感じさせます。

さぁ、ここで出てきました「バラード」がこちらです。

映像では無く「音楽」に意識を向けてください。

大抵の人は衝撃を受けるというか、不安を感じると思います。

最初から心地良く聴ける人が居たらすごいと思うので、是非お話を伺いたい!

この曲を心地良く感じたら、この曲の聞こえていない世界の存在が聞こえていると思います。

この曲は「存在の本質」にアプローチをしようとしているはず。(仮説)

だから、普通の人がこの曲を聴くと自我が壊されそうな感じがして「不安」を感じると思います。

でもこの曲は「ガイド(導き手)」になり得るだろうと思っています。

この曲は存在自体に揺さぶりを掛けてくるので、自分の中にある本当に大切なものだけが残るようになっていく、そんなイメージが浮かびます。

だから、聞くときは意識して聞こえている部分以外の音や映像を感じとるつもりで聴くようにしています。

曲?曲なのかな(笑)

まあ・・・気持ちの良い曲ではないですよね(笑)

(後日談)一年経った今でもそう思ってます(笑)。

アーティストは「ことわり」を通して見えない世界を形にしてる?

この曲(バラード)は本当によく分からないです。

曲を理解をしたいわけじゃなく、評価したいわけでもなく、武史さんの意図を知りたいとかそういうのでもないです。

何かあると感じるのだけど、分からない事がもどかしいです。

もしかしたら何もないのかもしれないという落ちもあります。

武史さんに「この曲が作られた当時の背景はどんな感じなんですか?」って聞いたら、「気がついたら形になってた・・・」みたいな返事でした。

そんな中で先日、(武史さん)「なんでこんな感じで曲を作ってたのかな~って考えてたら思い出したよ」という言葉の後に出てきたのが「植物界の響きを音で表現していたんだな、と。」だそうです。

これが武史さんの「音を生み出す時」なのかもしれないです。

これが見えない世界を見える世界と繋ぐのかもしれません。

私にとって絵は絵でしかなく、写真は写真でしかなく、音楽は音楽でしかありません。

好きか関心が無いかぐらい

でも、作品が生まれるまでのストーリーを伺う機会が生まれたことで、見えない世界に意識を向け始めました。

作品の「中」に意識を向けることで、気づかなかったことに気づく機会を得たみたいな感じです。

何かがある?と気づこうとすることで、どうも「本質の世界」に意識を向けているような気がします。

だから作品は本質のガイドともいえ、要は「幸せに気づき、幸せを感じとるためのアンテナ」みたいなものなのかな~。

となると本質っていうのは「幸せそのもの」になります。

武史さんが「それまでアートに対して無関心だった人でも、自己省察を積んで来た人には、いくつかの言葉を投げるだけで、ストンと作品の真意を汲み取る、掴んでしまう。これは君と出会って予感していたことだけど、それが僕の中で明白になった気がして、そこは単純に嬉しい。」と言ってました。

武史さんがいう「作品の真意」って何かな?って思います。

私の中での「作品の真意」とは、「見えない世界の存在」だと思います。

見えない世界に見えるような形は無いけれど、アーティストが生み出した作品は見えない世界に繋ぐ扉の役割をしているのかもしれないと考え始めています。

そこまで意識する?と思うのですが、何となく感じる見えない世界の存在は安らいだ存在のような感じがするので、深掘りしていくこと自体が楽しいです。

写真であれ絵であれ音楽であれ、見えているものの先に見えていない何かがあるかもしれない。

作品は様々な印象を与えますが、見えない世界は常に何かを教えてくれようとしている気がします。

ただ、今の私には「意識」して感じようとして漸くぼんやり浮かんでくる程度です。

たぶん、そういう私の姿を見て、武史さんは「(芸術に対して)何も知らない人が(芸術を通して)見ている世界」に何かを感じ、「この間の話を載せてみて」みたいに言ったのかな。

まあ分かんないけど(笑)

なんでこんな話をしたのかな?

何かがそこにあるような気がして、そこに向き合うのは楽しいようなそうでもないような・・・。

もしかしたら見えない世界の存在そのものに気づけるようになるかもしれないって思うと、わくわくします。

いつか分かるかな

なんとなく楽しみです。

そんな楽しみ方を武史さんが教えてくださったので、言葉にしてみました。

でもまあ、バラードはよく分かんないけど(笑)

いつかバラードが見せてくれている見えない世界の存在に期待しているところです。

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