自分を否定する言葉を否定するところから始めると自然と良くなる

この世界は自分のためにある

写真は山梨に咲いている花です↑花の名前は知りません。笑

養蜂家さんのお手伝いをしながら毎週遠征している今日この頃、前回(6月6日金)はめでたいことに刺されずに済みました!

いや~良かった。ほんと良かった。

都合6回刺されているのですが、とりあえず痛いのと羽音が怖いんですよね。

今回も盛大にたかられましたが、何とか無事・・・だと思ってたら、ヒルにくるぶしを噛まれてました・・・。

何というか日常と違いすぎて笑うしか無いやつです。

そんな中、この遠征の戻りの途中でつくしさんとお話をする機会がありました。

自分を否定するのが普通だとしたら

どうしてそんな話になったのか忘れちゃったのですが、「世の中の人には自分を否定してしまう人がいる」事を教えてくださいました。

多いらしいです。

私は自分を否定したこと、たぶん、あまり無いです。

だって、自分が自分を否定したら、全てが敵になってしまいません?

いや、そんなことすら考えたこと無いけど、「否定」について考える時、自分で自分を否定することはとても苦しいことだと思ってしまいます。

否定・拒否については以前お話しました(「否定や拒絶は自分のため、未来のために必要なやつ?」)。

自分だけでも自分の味方になれたら、それだけで世界が変わる気がする

自画自賛ですが、良いこと書いてるなって思いました。笑

間違っても「くだらない、どこにでもあるようなことを書いてるな」とは思っていないです。

周りの全ての人が「この話はくだらない」と言っても私は平気です。

私自身が「この話をしたい」と感じ、それを言葉にしたことが大事だと思っているからです。

少なくとも自分だけは自分がやったこと・やろうとしていることに対して認めてあげて欲しいです。

正しいか間違っているかではなく、どんな自分自身であっても自分だけは受け入れてあげる感じです。

もうほんとそれだけで世界が変化します。

自己否定は苦しさを生む。自己肯定は楽しさを生む

でも、その自分を自分が否定したり拒否したりしたら、それはとても辛いと思う。

でも、自分を否定したり拒否をすることが間違っているとは思わないです。

そうしたい時もあると思うし、そうする理由もたくさんあると思うからです。

ただ、辛くて苦しいなって思う。

いつかどこかで自分を否定する自分から抜け出したくなる時が来るはずです。

否定・拒否は次のステージまで連れて行ってくれるとお話してきました。

だから次のステージが来たらたぶん否定・拒否をする自分から抜け出したくなります。

否定・拒否の次のステージは、自分を否定・拒否をする自分が苦しすぎて周りに意識を向けて何とかしようとあがく時に扉が開きます。

否定・拒否の次のステージは自分を存在を受け入れるステージです。

それぞれは真逆です。

自分の存在を受け入れるステージはすっごく楽ですよ!笑

だって、そこには楽しいしかないからです。

何かを始めれば「お~、良いんじゃない?」って思うし、何かを止めれば「お~、それも良いよね!」って考えるし、再び始めれば「良いじゃん良いじゃん!」って応援したくなるし、何をやっても何を止めても、そこにあるのは全ての肯定と承認です。

否定・拒否の時にもいろんな理由があったじゃないですか。

肯定と承認の時にもいろんな理由があるんです。

どっちでも同じなんです。

どっちであっても正しいと感じる理由はいくらでもどうとでもなんとでもなるんです。

だから、否定・拒否をするか肯定・承認をするかの違いしかないです。

そこから先が全然違って、否定の先には苦しさがあり、肯定の先には喜びがあります。

本来、人は苦しさを選びたくて選ばないし、苦しさに繋がる否定や拒否を選ぶこともありません。

ただ、知らないと分かりやすい方を選んじゃうと思います。

否定や拒否の方が楽だし、分かりやすいんですよね。

でも、否定や拒否をした時に必ず身体のどこかに苦しさも感じてるんです。

それが地層のように重なって苦しめてきます。

時間が経つと苦しさの原因すら分からなくなっていき、どうにかしようと更に否定や拒否が重なっていきます。

それらの想いはいつか崩壊しますが、その崩壊の時、世界が変わる瞬間が来ます。

自分の想いに振り回されまくった自分自身に対し、「もう分からんどうにでもなれ」とやけになる瞬間です。

ここまで来たら、もう否定も拒否も意味がないことが感覚的に分かってきます。

だから、ここまで来たら「否定・拒否の真反対の時が来た」と思い出してください。

否定・拒否がダメなのでなく、否定・拒否だけだと行き詰まる

自分を否定したり周りを否定したり、いろんな事があると思います。

否定したい時はそれで良いと思います。

そうじゃないと自分を支えられないと思ってしまう時もあるからです。

でもまあ、実は否定や拒否をしているから不安定になる一方なのだけど、そこに気づくにはたくさん否定・拒否をしないと分からないかも知れないです。

だから否定・拒否を止めようと意識した瞬間から世界は安定します。

止め方はいろいろあるけれど、本質的に「否定・拒否を止める」と思うところからでしょうか。

「止める」と思っていてもなかなか出来ないと思います。

だって、ずっと自己否定・他者否定の渦に巻き込まれていたのですから、すんなり行く方がびっくりします。

でも、変わっていきます。

もう苦しくて苦しくて否定・拒否を続けることが自体が無理になってきているからです。

それぐらい否定・拒否は辛いものですし、動けなくなるものです。

行き着くところまでいったら、そこからは変化する目安があれば変わっていきます。

それが否定・拒否の反対となる肯定・承認です。

出来るなら、自分のやっていることは何でもかんでも認めて欲しい。

承認欲求って言葉がありますが、他者からの承認欲求の事をいうことが多い気がします。

私が言うのは他者ではなく自己の承認です。

他者からの承認欲求なんて目じゃないほど、自己の承認は力が強いですし、必ず出来るようになります。

誰も認めてくれないじゃなくて、自分が認めれば後は勝手に付いてきます。

自分で自分を受け入れ始めたら、これほど楽な状態はなくなります。

「良い!それで良い!」

これだけで世界が変わるんです。

ついでに身体も一気に楽になるから良いやり方だと思うんだけどな~。

苦しみを選ぶのに疲れたら、そろそろ息抜きをする時期に来ています。

悩んだら相談してください。

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