四柱推命の浅野太志先生とのお食事会?(笑)

世間話

久々に四柱推命の浅野太志先生から食事のお誘いがありました。以前は中野坂上の方にいらっしゃいましたが、今は新宿に移って、ご近所さん。

あれ、そういえば久々の食事と思いましたが、初めてかも。

気さくな先生なので、ついつい。

浅野先生は一時期、占いから離れていらっしゃいましたが、昨年から復帰されてます。

昔から知っている人も多いのではないかな~って思う。

このブログでも2021年のお話を載せてました。「四柱推命の浅野太志先生が気になって鑑定の依頼をしてみた

浅野先生は優しい方で大抵の事はOKされます。

昔は占いを中心に活動されていましたが、前々から占いを教える方にシフトしていくと話題にされていました。

上で載せたお話の通り私が占って頂いたのが2021年の1月でしたので3年前です。

その頃も、それ以前も同じように「自分で自分を占えるようになるために力になりたい」という感じでした。

本を書いたり教材に力を入れるのも、その想いが根底にあるとのことでした。

占い業をやる人間は大抵どちらかの傾向を持ちます。

教える方を好むか、占う方を好むか。

浅野先生は教える方です。

占いもやらないわけではないようですが、教える方に力が入っています。

そういえば風水師の織路由麻先生も教える事を好む傾向があるな〜と今気がつきました。

まあそれは良いとして一時期業界から離れていらしたのでどうされているかな〜と思っていた矢先、復帰に気がついたのが去年で、その時に連絡もつきました。

さらに11ヶ月ほどして、本日、お昼ご飯を食べに行ってきました。

しっかりお会いするのは3年ぶり。

失礼ながら「大丈夫かな。元気でいらっしゃるかな」と気に掛けてました。

以前から浅野先生は何かある時は大きなうねりの中に突入されるので、心配になる先生でもあります。

ただ、人の事情に踏み込むのは失礼ですし、なるようにしかならないのですが。

と言いつつ、ここ数年のお話をあれこれ伺いました(笑)

案の定、イベント盛りだくさんで運命に翻弄されまくって今、みたいなお話でした。

占い師がこれで良いのかなと少し思いつつ、「予測出来ました?」って聞いたんですよね。

占い師は自分の未来を予測できるのか?というのは誰もが関心があるんじゃないかな?って思いますし、私も関心があります。

占い師は自分の扱う占いの検証は常に必要だと思っています。

すると2021年(私が占って貰った年)のあの頃必死に3冊の本を書いてたけど、22年の運勢を考えたら書き上げるしかなかったとのこと。

そしてまさに21年22年に浅野先生は運命に飲み込まれたみたいです。

運命に飲み込まれるとは、自分でコントロール出来る余地が少なく、目の前の事態に翻弄されることを意味します。

それが良い感じになるかどうかは難しいところです。

そういう意味では占いが当たってるとも言えるし、21年の予兆は20年には既に発現していて、予定調和のように人生が進んでいた感じを受けました。(浅野先生もそんな感じで言ってました)

色々な要素ががっちり噛み合いすぎていて、なるようにしかならないやつです。

今日お会いしてお話を伺って、過ぎた時をすでに乗り越えていらしたから笑える話だけど、まあ人生色々ありますよね🤣

占いをやっていると、分かっていても避けられない事が意外に多いことに気が付きます。

占うことで予測はつきます。

だからなんとかすれば良いのだけど、しようとしないのです。

これは良くないな、やりたくないなと思うのに、「でもな」と続けてしまう。

運命の分岐点です。

お話を伺う中で「シグナルみたいなのありませんでした?」と質問する場面もありました。

「あったよ!」と。

ご自身も「これはな〜」とやめた方が良いのだろうけどと気がついたし、ご自身も思っていたけど続けてしまう。

その結果、紆余曲折コースに突入するわけです。

ここで取りやめる運命もあれば、突き進む運命もあります。

どちらが正しいかと言えば、その時に選択をした事がある意味で正しい選択です。

その選択の結果、紆余曲折コースに突入したとしても、復帰後の今があり、「今の方が良い」という浅野先生がいるのですから正しい選択なんです。

はたで聞いている私は浅野先生らしい人生だけど、もうちょっとなんか無かったかな・・・と思いつつも、やはり正しい選択でしかないなって感じながら聞いてました。

ただ、紆余曲折コースに突入した結果の未来と、突入しなかった結果の未来は同じ「意思」に辿り着いたと思います。

この場合の「意思」とは浅野先生の原点です。

上でも少し触れていますが、浅野先生はずっと「目の前の人の幸せのために占いを使いたい」と言ってます。

私が浅野先生と話をするようになった時もそうですし、たぶん、昔からずっとそうです。

そういう話ばかり出てくるし。(笑)

その手段として「占いを学んでもらう事で、幸せになる力を手に入れて欲しい」と教える事に力を注がれています。

これは鑑定でも同じ感じなので、昔からずっと一貫しています。

これが私から見た浅野先生の幸福であり、本質です。

ただし、その本質の根っこがどこにあるのかまでは意識が向きませんでした。

本質は本質なんだけど、なぜその本質なのかというのが人それぞれ違います。

違うからこそ幸せの気づき方も違います。

次にお会いした時に伺ってみたいと思います。

まあそれで、その本質から外れる時に浅野先生は紆余曲折コースに突入する(笑)。

いえ、ご自身はそんなつもりはないのに、ついついまき込まれるんてますよね。

巻き込まれるだけの原因もあるのだからしょうがないのですけど。

浅野先生の人の良さを知ってしまうと、その優しさに甘えてしまう気持ちになるのも分かる気がします。

結果としてどこかの段階で浅野先生が「うわ〜」ってなる。

浅野先生とお話をしていると、憑き物が落ちたような感じでした。(私と話をしていてという意味ではなく、すでに現状が憑き物が落ちているという意味です)

本来あるご自身の姿にあるのだと思います。

久々にお会いする人だと緊張します。

人はその時々で姿を変えることがあります。

良い時ばかりじゃないし、昔とはガラッと変わることもあります。

だから緊張したのですが、お変わりありませんでした。

人の良さが滲み出ていて、誠意に溢れていました。

人が良いから抱えなくても良いと思えるものまで抱え、それでも「まあ自分が選んだ事だから」と受け入れようとする姿は眩しいです。

昼食を挟んで3時間ぐらいの対話でしたが、浅野先生の人生は密度が濃かったです。

私の様子も浅野先生に聞かれたのですが、ここ数年のトピックは八王子の千代田稲荷神社さんぐらいしかないので、「道楽で勝手に掃除に行ってるんです〜、変人ですよね〜」とお茶を濁して終わりました(笑)

今回はどこまで話を伺って良いものか考えてましたが、浅野先生の中では区切りが付いているようで、伺えば大抵答えてくださっていたと思います。

これがあるので安心しています。

人は相手が誰であれ、「それはちょっと」と言えない事が出てくると次第に苦しくなります。

逆になんでも言える人は自己責任のもと自己完結に到達できているので、自然と自己分析が出来てます。

ずっと話していたいほどでしたが、用事もあったため終了となりました。

人を大切にする人と一緒にいると楽しくて良いですよね。

浅野先生が火曜日の話をブログに載せてくださってましたのでリンクを貼っておきます。

あ、そういえば浅野先生が「やっぱりアメブロはすごいですね!」とお話になっていたので、私も復活させてみることにしました。

一時期いろいろと検証をしていて、一通り傾向を把握した後は触っていなかったアカウントがあったので、これを今復活させるために準備を進めています。

なんとなく感じることがあったのでした♪

追記:笑

浅野先生が「新宿あけぼのばし通りにて」の投稿で私の話を載せてくださってました。

なんか良い話になってました。笑

文中で「利益にならないのに」といった表現があります。

この話をしている浅野先生も同じなのですが、私は利益を十分に得ています。

何かをする時、たとえ持ち出しがあるように見えたとしても、実際には持ち出していないし、損をすることもありません。

何かに関わり、様々な経験をし、時には問題になることもあれば、時には素敵だと感じることもあると思います。

それらが全て利益です。

何かをさせて貰っている時、それは掛けた労力以上のものが返ってきています。

「見えないものですよね?」と思う人もいるかもしれませんが、金銭も同様に巡り巡って返ってきていることが分かります。

価値に換算してもそうだし、金銭面も後で計算してみれば十分以上に元が取れてます。

労力を掛けているその瞬間には気がつかないかもしれないけれど、自分から動き出したものについては多くのものがその都度入ってきています。

私の周りに居る人はそんな人ばかり。笑

口では損だ得だと言っているのに、結局、あれこれと手を掛けてて、しかもちゃんと返ってきているのが分かります。

損なことは何一つ無いし、利益しかない。

浅野先生とのお話でなおいっそう実感しました♪

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