ここ5年10年ぐらいで、普段気にしない私でも「お一人様」が目に付くようになっています。
コロナの影響を受け「一人になる」のプレッシャーが更に強くなっている気もします。
「密を避ける」という言葉が伝家の宝刀になり、嫌なものはどんどん避けやすくなりました。
誘う方も面倒がなくなり、誘われる方もストレスが少なくなっています。
一人で過ごすこと、少数で過ごすことが自然になってくるメリットも多いと思いますが、私はデメリットの方が目に付いています。
人は「繋がりを持たないと生きていけない」です。
それは実生活上の問題だけでなく、精神面でも人との関わりがあってこそ、保たれている部分があるためです。
都会にいるほど顕著になります。
人がたくさんいても、隣に人がいても、「一人」を感じさせるのが都会です。
住んでいる人が少ない場所は、その分、隣人との関わりが必然的に大きくなり、一人になろうとしても踏み込んできます。
コロナの現状でも、この傾向は変わりませんが、人が多い場所は更に顕著になっていきます。
関わらない人は離れていき、関わりを持ち合う人で集まります。
こういう傾向が表にハッキリで始めてくると、ますます拍車が掛かってきます。
マスクをすることで化粧をしなくなってきました。
外出をする機会が減ったことで、服も買わないし、関連する小物も買いません。
人に会わないので、無理をしなくても良いため、「使えれば良い」となってきます。
すべてがそうなっているではなく、そういう傾向が生まれてきているという話です。
節約出来て良かった、ストレスが減ったとなってメリットが目に付きますが、人は動かなくなると動けなくなります。
これがリスクです。
今後、何かのきっかけで「じゃあ、出かけよう」となったとき、「あ、着る服がない」「化粧も足りない」となれば「やっぱり止めよう」に繋がっていくかもしれません。
傾いた流れに流されていく状態です。
こうなるといつの間にか人の繋がりも切れ、利害関係だけが残ってきます。
利害関係はお金を払う・貰うの関係でしかなく、「思いやり・気遣い」が入りません。
インターネットで買い物が出来る今、人と接することなくモノのやりとりが出来てしまうため、心が孤立しやすくなります。
思いやり・気遣いは人間関係の潤滑剤です。
ほんの少しの声かけで癒やされることがあります。
それが無くなってくると、心が折れやすくなり、生きづらくなっていきます。
運が良いとか悪いとか言ってる場合じゃないです。
家から一歩も出ないことが悪いのではなく、「繋がりを切ってしまう」「切れそうな繋がりを放っておく」ことが、昔以上のリスクになってきているという話です。
今はまだ過渡期で見えなかった部分が表面化し始めているだけですが、これが日常になると「なんで今の様な状態になっているのかな?」と自分でも分からなくなっていきます。
いきなりおかしな状態になるのではなく、そこに至るまでの経過があります。
「一人になる」のは少子高齢化も追い風を吹かせているので、一つの世情でもありますが、そうじゃ無い人もいます。
そうじゃ無い生き方、人と関わりを保ちながら生きるのは面倒な部分もたくさんありますが、生きる上で必要な部分でもあります。
何をどの程度大切にしていくかは、将来の自分が何をどの程度大切にするかで変わってきます。
ポイントは「今じゃなくて将来の自分」であり、どこを大事にするかで今が変わってきます。
一人になることを選択出来るのと、一人ぼっちは違う意味合いです。
世の中が何かに傾き始めているとき、それに備えていくことで未来を変えることが出来るかも知れません。
大きな流れは変えられないかも知れませんが、自分だけでも身の周りだけでも変わるだけで余裕を持つことが出来、何かあっても対処がしやすくなります。